■地域開発試論(8) – 補完性原理の特徴と限界

地域開発の根拠となっている補完性原理には、天=「人間の尊厳と自由を守る」という視点、外=「国家権力介入の制限」という視点、そして、内=「個人主義批判と共同体自治の奨励」という視点の三つが含まれています。この原理の特徴と限界を、天外内のグリッドで分析し、地域開発の新しい根拠について模索します。

天 人間の尊厳と自由を守るという視点

1931年にロー マ教皇ピウス11 世によって発せられた社会回勅では、人間は一人ひとりが不可侵の価値を持った人格だという認識から出発して、諸共同体と国家が論じられています。

「個々の人間が自らの努力と創意によって成し遂げられることを彼らから奪い取って共同体に委託することが許されないと同様に、より小さく、より下位の諸共同体が実施、遂行できることを、より大きい、より高次の社会に委譲するのは不正であると同時に、正しい社会秩序に対する重大損害かつ混乱行為である。」(澤田昭夫(1992)37-38頁)と回勅は主張します。

個人の自立を支援し、主体性を育てるために可能な限り当事者や関係者の自由に任せるという原則は、現在の地域開発でも尊重されるべきです。85年前に論じられていた原則を見直して適用することがまちづくりの現場で求められています。

しかし、当時の時代的制約もあります。それは、このような原則が労働者から出てきたのではなく、「社会秩序と経済秩序を自らの至上の権威のもとに置くと自認する(また公認されていた)教皇」の、上から下へのお言葉だという点です。

言い換えると、社会構造の下層にいる者たちは、ある程度イニシアティブを取ることができるが、あくまで超世俗的立場を持つカトリック教会とそれを支える社会序列体系に脅威を与えない範囲で行動する、という条件が付いているのです。

中央集権体制を維持しながら、共同体や個人の自由も認めるというアプローチは、自分たちの立場を守るための方便とも取られかねず、説得力に欠けます。中央で甘い汁を吸っている者のおこぼれという「飴」を庶民に与えるが、うまくいかなければ「鞭」で打つという支配者の統治論理が見え隠れします。