■行動による信仰告白(3) – 普通の人に伴うしるし

復活されたイエスさまは弟子たちを全世界に派遣されました。しかし、その直前に、がっかりするようなことが起こりました。マルコの福音書16章14節には、「イエスは、その十一人が食卓に着いているところに現われて、彼らの不信仰とかたくなな心をお責めになった。それは、彼らが、よみがえられたイエスを見た人たちの言うところを信じなかったからである」とあります。

土壇場で叱られるようなことをしてしまった弟子たちだったのですが、イエスさまは、「君たちは何を学んできたんだ。クビだ。家に帰れ」とはおっしゃらずに、ティーンエイジャーもいたであろう未熟なガリラヤ出身の11人の青年たちの集団に、世界の変革を委ねられました。

しかも、どうも、渋々ではなく、かなり喜んで派遣された節があります。弟子たちは、「賢い者や知恵のある者」ではなく「幼子たち」(ルカ10:21)と呼ばれていましたが、彼らの存在自体がイエスさまの喜びだったようです。

弟子たちの不信仰とかたくなな心をお責めになったのは、彼らが主のお気に入りだったからこそ、だとも考えられます。弟子たちの方も、「人間が受け得る最高の委任宣言」という大きなイベントの直前に叱責されても、そこで尻込みしたり自己嫌悪に陥ったりせずに、その場からすぐに「出て行って、至る所で福音を宣べ伝え」(マルコ16:20)ました。イエスさまと弟子たちの間には、何を言っても聞いても崩れない「強固で安定的な信頼関係」があったのだろうなと思います。

その宣言はこうです。「全世界に出て行き、すべての造られた者に、福音を宣べ伝えなさい。信じてバプテスマを受ける者は、救われます。しかし、信じない者は罪に定められます。信じる人々には次のようなしるしが伴います。すなわち、わたしの名によって悪霊を追い出し、新しいことばを語り、蛇をもつかみ、たとい毒を飲んでも決して害を受けず、また、病人に手を置けば病人はいやされます。」(マルコ16:15-18)

福音とは「良き知らせ」のことで、罪赦された者たちに与えられる新しい生き方です。最近、30年来の知り合いで美容師のMさんがイエスさまを信じました。彼は祈ってもらったときに、嬉しさと熱気が内から溢れて目頭が熱くなったのだそうです。

自分が愛されてきたこと、妬みや嫉みに心が満ちていた過去の自分の愚かさ、聖書の中に人生の指針があること、一緒に歩む「気のおけない仲間」がいること、人生の課題に向き合い責任をとることの大切さ、受けるよりも与える方が幸いだということ、そして毎日「なぜか心がすっきりしている」ということを、確認したり悟ったりしました。彼はその喜びを、親戚やお客さんや友だちにわかちあっています。

福音が人を救うのです。しかし、信じない者は罪に定められてしまいます。だから、周囲の人たちに恐ろしいことが起こらないように祈っていきたいと思います。信じる人々には5つのしるしが伴います。特別に選ばれた人たちだけではなく、だれでも「しるし」に預かることができます。順に見てまいりましょう。