■悪をもって悪に報いず

悪口を言われたり、虐められたり、馬鹿にされたりするときに、「悪をもって悪に報いず、侮辱をもって侮辱に報いず、かえって祝福を与えなさい」(第1ペテロ3:9)と聖書は教えます。その理由が続いています。「あなたがたは祝福を受け継ぐために召されたのだからです。」

これはどういう意味でしょうか。仕返しすると、なぜ祝福を受け継ぐことがができなくなるかということを三つの視点から考えてみます。

第1に、裁きは神の専権事項なので、人が裁量に口を出すという越権行為を犯すことで、祝福を逃してしまいます。12節には、「主の目は義人の上に注がれ、主の耳は彼らの祈りに傾けられる。しかし主の顔は、悪を行なう者に立ち向かう」とあります。正しい人に祝福を与え、悪を行う者に報復する権威を持っておられるのは、唯一の支配者である神のみです。

ローマ人への手紙12章19節には、「愛する人たち。自分で復讐してはいけません。神の怒りに任せなさい。それは、こう書いてあるからです。『復讐はわたしのすることである。わたしが報いをする、と主は言われる。』」と命じられています。被造物である人間が分を超えて裁くのは、座についておられる方を押しのけることです。