■天外内で仕事を考える

紹介文
神の国をもたらすというミッションを自覚し、自分自身のように隣人を愛するときに、安らぎが来るというのが、福音によって回復された仕事の、「天=ミッション」、「外=隣人愛」、「内=安らぎ」の構造です。

主が来られるまでは、自分の弱さゆえの艱難辛苦もあるでしょうし、ミッション遂行に伴う労苦もあります。しかし、すべての労苦の中にしあわせを見出すことができるということも神の賜物です。


伝道者の書3章13節に「人がみな、食べたり飲んだりし、すべての労苦の中にしあわせを見いだすこともまた神の賜物である」という言葉があります。生業で得た果実によって、愛する者たち、そして寄る辺なき者たちと一緒に、「お疲れ様」と言い合って楽しい食事の時間を過ごす。そのこともまた神の賜物です。

しかし、ここで重要なのは、しあわせを得るために労苦するというのではなく、労苦の中にしあわせを見いだすと書かれている点です。確かに1日の終わりの会食は楽しみではあるのですが、それは、労苦がもたらす祝福の一部です。むしろ、労働という営み自体が神から与えられた賜物だというのです。

労苦は避けて通りたいと思うかもしれませんが、伝道者は、労苦が神の賜物だと宣言します(伝道者3:10)。神は人になすべき仕事を与えて労働させられました。そこには苦しいことや悲しいことや残念なことや腹立たしいこともあるでしょう。それではなぜ、神は愛する者たちを、そのようなところを通らせられるのでしょうか。