■福音は伝わっていますか(3) 「塞翁が馬」について考える
・さまざまな時間観:反復、円環、直線、螺旋
中国の思想書に掲載されている故事に「人間万事塞翁が馬(じんかんばんじさいおうがうま)」という言葉があります。冒頭の語は、「にんげん」ではなく「じんかん」と読む方が言葉の由来に忠実で、意味は世間、またはこの世なのだそうです。塞翁(さいおう)は、国境の城塞近くに住んでいた翁(おきな=老人)のことです。「塞翁が馬」は「塞翁が所有していた馬」の意です。ざっくりご紹介します。
昔、中国北方の国境近くの城塞のそばに住んでいた老人の馬が逃げたので、人々が慰めに行くと、老人は「これは幸いになる」と言った。数ヵ月後、逃げた馬は隣国から駿馬(しゅんめ)を連れて帰ってきたので人々がお祝いに行くと、老人は「これは災いになる」と言った。老人の息子が駿馬に乗って遊んでいたら落馬して足の骨を折ったので人々がお見舞いに行くと、老人は「これは幸いになる」と言った。一年後、隣国と戦争することになったが、老人の息子は骨折ゆえに兵役を免れて命が助かった、というお話。
人間の吉凶・禍福は変転し予測できない。だから、安易に喜んだり悲しんだりするべきではないという訓話です。思いがけない災いに会った友人がいたら、「塞翁が馬というから、気を取り直して、今の状況でできることにはしっかり取り組もう」などという励まし方ができるかもしれません。
逆に、良い結果が出て悦に入っている友人に「塞翁が馬というから、気を引き締めて進もう」と忠告することも可能かもしれません。相手に共感して、「喜ぶ者と共に喜ぶ」ことは基本ですが、浮かれ気分の御仁には、「勝って兜の緒を締めよ」と言って、複眼的に物事を見ることを促すことも必要でしょう。
この話は、中国の故事なのですが、日本人のなかにも座右の銘としている人が多いと聞きます。そのため、このストーリーの世界観は、広く東アジアの人たちが共有しているものだと考えられます。ここでは、この故事の背景にある、3つの世界観の仮定を分析し、日本人の世界観についても考察することにいたします。
第1の仮定は、災いと幸福は表裏一体で、かわるがわるやって来るものだという見方です。苦あれば楽あり。この物語の時間観は「振り子」のようで「反復構造」を持っています。人生には良いことと悪いことが、だいたい半分ずつ代わる代わる起こると考えるのです。この仮定を無意識に持つ人は、良い事があっても、「こんなことで運を使い果たしてしまいたくない」などと言って恐れます。