■「沈黙断食」のススメ
カンザス・シティーの国際祈りの家では、様々な方法で祈りが捧げられている。現代人が四六時中祈り続けるにはちょっとした工夫が要るというのが現実である。
私はまず、そこでスタッフとして奉仕をするための数ヶ月の訓練に参加した。午前中はクラスに参加し、午後から夜は祈りの部屋で奉仕をする。クラスでは、イエス様について、終末について、預言やいやしなどの霊的な賜物について、イエス様とさらに親しい関係を築くために役に立つことをあらゆる角度から学ぶ。
この共同体では、「霊的鍛錬」として頻繁に断食をする。なぜ断食をするのか、理由は様々だが、主な理由としては、断食を通してイエス様を求めることに集中し、自分が何よりもイエス様を求めていることをイエス様に表現し、またこの地に神の支配が訪れるように集団で心を合わせて祈る、などが挙げられる。
断食は、「これをしたら、ああなる」といった方程式のようではないと私は考える。むしろ、何か心の中に強い思いがある時、また自分の力でどうにもならないような時に、そのことを優先して考える。生活の中で当たり前のようにして楽しんでいることを後回しにするのだ。それはクリスチャンである前に人として自然なことなのだと思う。
好きな人のことを考えてみるとわかりやすい。誰かを好きになると、その人のことばかりが気になって、もっともっとその人と時間を過ごしたくなる。その人と電話で話していたら、さっきまでお腹が空いていたことも忘れて、話に没頭する。また、その人のために何かをするならば、自分の食事はさておいて、その人のために尽くすのである。