■Cool Japan!(クールジャパン!):序「何を見ていますか?」
「コップに水が半分も入っていると見ますか? それとも、コップは半分空だと見ますか?」こんな質問を聞いたことがあるかもしれません。この問いかけは、肯定的なものの見方をしているか、あるいは否定的なものの見方をしているかを自己診断するために、研修やセミナーなどでよく使われる質問です。
なんとなく狙いは分かるのですが、水の入っているコップが、今、目の前にあったとしても、「半分水が入っているな」とも思いませんし、「半分しか水が入っていないな」とも思わないので、少々答えに困ります。「コップは半分空だ」などという考えは、思い浮かびもしません。そうすると私は、肯定的でも、否定的でもないということでしょうか。ひょっとしたら、ただ単にへそ曲がりなのかもしれません。
19世紀の小説家、オスカー・ワイルドは、似たような言葉を残しています。「楽観主義者はドーナツを見、悲観主義者はドーナツの穴を見る」と言う表現です。こちらもまた、ストンと心に収まる言い回しではありません。ドーナツを見て、穴に注目しない人がいたら、そのことだけを取り上げて、「その人は楽観主義者だ」と言ってよいのでしょうか。
そんなことより、リング型のドーナツが19世紀のイギリスに存在していたのか、そもそもドーナツの発祥の地はイギリスなのだろうか、沖縄のドーナツであるサーターアンダーギーと比べると、どちらの歴史が古いのだろうか、などと、関係のないことに私の思いは飛んで行ってしまいます。ともあれ、「あれか、これか」の二者択一を迫まった上で、その答えによってレッテルを貼るような問いかけに対しては、あまり積極的に答えようという気にはなれないのです。