■教える力のある忠実な人たちを育てる

紹介文
殉教を覚悟していたパウロが愛弟子テモテに託したメッセージは、恵みを数えて強くなり、弟子育成のバトンを「教える力のある忠実な人たち」に渡すことでした。「教える力がある人たち」が多世代にわたって幾何級数的に増加し続けることによって地を満たし、神の支配を世界の隅々にまで行き渡らせることができます。忠実というのは、絶対的に王に従い、日々みことばの基準に従い、託された命を収穫のときまで守り育てることです。

使徒たちのムーブメントは「教える力のある忠実な人たち」が主体です。俗悪な無駄話をしたり自分を愛したりするような人たちは「避けなさい」(3:5)と命じられています。もちろん、「反対する人たちを柔和な心で訓戒」(2:25)するという務めもありますが、そのことによって「教える力のある忠実な人たち」が待たされるようであってはなりません。あなたの周りの「教える力のある忠実な人たち」は誰でしょう? あなたを起点として始まった弟子育成は何世代にまで達していますか?


テモテへの第二の手紙は、殉教する日が近づいていることを悟ったパウロが、愛弟子テモテへに宛てて書いた遺言状とも言える手紙です。今回は、第1章から第2章の初めにかけて、パウロが最後にテモテに託したかったメッセージについて考えてみましょう。

まず、1章1節で、パウロは自分が使徒としての務めを受けたと宣言しています。私たちは皆、使いに出された子どものようで、救い主なる神とイエスさまによって、世界に遣わされ、そこで指示された通り「買い物をする(=任務を果たす)」ようにと命じられています。その命令には「いのちの約束」が伴っています。

いつ処刑されるかわからないような状態に置かれていたパウロが、テモテとの最後の通信となるかもしれない機会に、人生とは何かを霊的な息子(=テモテ)に語っています。「よくやった。良い忠実なしもべだ」(マタイ25:21)と父に褒めていただくことを思い描きながら、最初から最後まで忠実に天命に従い続ける日々が人生の道のりなのだと…。

1章2節から18節には、手紙の受取人であるテモテが、これまでも今も、どれだけ素晴らしい恵みを受けてきたか、ということが多様な角度から述べられています。順に挙げてみましょう。