■福音は伝わっていますか(8) 生命をもたらすオオカミ
紹介文
イエローストーン国立公園では、食物連鎖の頂点にいたオオカミが危険視され絶滅させられたために、鹿が増えて森が死にました。しかし、他の地域からオオカミを連れてきてからは森林が復活しました。オオカミの真の姿は生命をもたらすものだったのです。
サムエルやダビデに象徴される神直結の民もまた、オオカミのように危険視されて排斥されました。しかし、神がデザインされた立場に戻ってきたときに、イスラエル全体に大きな変化が起こりました。
教職者の役割は、キリストと会衆の間に入ることではなく、傍に立って両者が直接会話することができるように助けることです。信徒一人ひとりが祭司として神の導きを直接受け取り始めるときに、教会は変わり、宣教も変わるのです。
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・神直結の民
日本国内のとある町で、天外内トレーニングを導いていたときのことです。複数のキリスト教会から10人ほどの青年たちが参加したのですが、その中に、その地域の大きな教会の牧師ご夫妻も参加されました。青年たちが神の声を聞く練習を嬉々として続けていた間、そのご夫妻は練習に参加しようとされませんでした。
思い切って尋ねてみました。「セミナーの中で、お気に触るようなことがありましたか?」すると意外な答えが返ってきました。「実は数年前、あなたと同じように神と直結することの大切さを説く働き人を外国から招いたのですが、彼が去ったあと、教会の秩序が乱れ、分裂する教会まで出ました。教会には秩序と規律が必要です。神と直接つながることを信徒たちに許すことは危険です。だから、こういう教えにはアレルギーがあるのです。」
そこで、私は角度を変えて質問しました。「先生が説教を準備するときには、神に直接聞きますか?」答えは「もちろんです」でした。私は続けて尋ねました。「民数記11章29節でモーセはヨシュアに、『主の民がみな、預言者となればよいのに。主が彼らの上にご自分の霊を与えられるとよいのに』と言いました。先生は、信徒の皆さんが全員、聖霊に満たされて、神の言葉を話すようになることを願っておられますか?」牧師は黙っておられました。
翌日は日曜でした。その牧師は礼拝後、会堂の出口近くに立って、前を通る信徒に挨拶をしておられました。ある女性に挨拶したときに、突然、神が自分を通して、その女性に何かを話したいと思っておられる、と感じました。彼は、会堂から出ようとしていた女性を引き止めて、牧師室に招き入れました。