■福音は伝わっていますか(10) ルカ第10章的宣教

紹介文
ルカの福音書第10章の70弟子派遣記事のアプローチは、教職者が監督する知的アプローチに偏重した学校型教会とはまったく異なります。平安の子らは、祈りによって神の国の臨在(=天)を、共食といやしによって神の国の働き(=外)を、弟子たちの協働によって神の国の交わり(=内)を感じ取ったのだと思います。

今や、神に遣わされた「普通の人たち」が、生活の場で自ら聖書を読んでイエスさまの心を知り、日々導いてくださる神の声に従い、人々に仕え、神の言葉を伝え、病人をいやし、キリストに従う群れを生み出す時代になっています。羊飼いのない羊のように弱り果てて倒れている人々をかわいそうに思われたイエスさまの涙を、自分の涙として流す多くの働き人が求められています。


・学校型キリスト教

伝統的なキリスト教会の伝道活動の目的は、伝道集会への勧誘・トラクト配布・伝道プログラム(英会話、料理、スポーツ教室など)を通して、教会またはそれに準ずる建物で開かれる、牧師などの教職者が主導、あるいは委任する平日の聖書研究会、または日曜礼拝に人々を勧誘することです。

未信者対象の聖書研究会は知的説得機能を持つ集会であり、日曜礼拝は教職者の聖書解釈講義が中心です。日本の教会はすぐれて学校型で知的アプローチに軸足が置かれています。

その上、未信者が回心すると、洗礼準備会を開きます。そして、洗礼時には信仰告白をするのですが、その告白には正しい教理が含まれていることが重視され、教理に整合した告白をするように指導、または誘導されます。言い換えると、知的理解が一定の水準に達するまで、長期にわたる知識の詰め込みがなされるということです。晴れて教会に所属するようになった後も、日曜礼拝を含む「教え中心のイベント」への参加が奨励されます。

このような学校型キリスト教会の特徴は、知的アプローチ偏重で、感覚的アプローチがないがしろにされていることなのですが、その知識とて、信徒のものになっているとは言い難く、実質的には教職者が聖書解釈権を握っているように見えます。