■宗教改革500年を記念して(2)

紹介文
1517年にドイツのヴィッテンベルクの城教会の扉にルターが打ち付けた、「95ヶ条の論題」を模して、20年ほど前にヴォルフガング・ジムソンが提唱した「教会が生まれ変わるための15ヶ条の論題」をシリーズで紹介している。

第1回目の記事では、ジムソンの第1から第3までの論題を紹介しながら考察したことを分かちあった。1)改革の必要性、2)キリスト教は宗教的な集会ではなく生き様だということ、そして、3)会堂と礼拝式にとらわれているキリスト教の現実について論じた。今号では、さらに第4から第7までの論題を分かちあい、さらに改革が必要な領域を掘り下げていく。


イタリアのローマに行くと、観光名所の多くは、キリスト教の大聖堂である。思わずため息をつくほどの豪華な建物を見て、日本のクリスチャンの中には、こんなに立派な教会が日本にもあって、キリスト教文化が花開くようになればどんなに良いだろうと思う人もいることだろう。

トルコのイスタンブールに行くと、以前大聖堂だった建物は、イスラム教のモスクになっている。壁のあちこちにはまだモザイクの聖画などが見られるのである。これを見て私の友人は、「主よ、いつかこれを取り戻すことができますように」と祈っていた。その横で私は、「これがキリスト教のものに再びなったところで、果たして何が変わるのだろう」と、とても複雑な気持ちを抱いていた。