■福音は伝わっていますか(12) 福音に生きる

紹介文
福音を理解するだけでなく、福音に生きるためにはどうすればよいでしょう。第1に、「神の導きを日常会話をしているように受け取ることができる」とイメージすることです。第2に、神との会話はスキルの習得によってできることだとシンプルに割り切って考えて、試行錯誤を始めることです。第3に、仲間同士で、相互に助けあうことです。スキルが定着し、習慣化すると、生活が変わっていきます。

「福音によって救われる」と告白することが自分の不従順や不安定な歩みに対する言い訳となり、「福音にふさわしく生活する」ことが単なるお題目になっているのだとするなら、たとえ、うまく他者に説明することができたとしても、生活に根付いていないという意味では、福音は本当に伝わってはいないのです。


・楽しい同行二人(どうぎょうににん)の道程

しばらく前から茶道の真似事をするようになりました。正式に習ったことはないのですが、見よう見まねで、自宅にいるときはほぼ毎日、自己流でお茶を点てて飲んでいます。そのあとに、天外内デボーションをすると、とても厳粛な気持ちになると同時に喜びに満たされます。それは新しい習慣となり、1日のはじめの楽しみなひと時となっています。

お茶を始めようと思ったとき、多くの経験者の話を聞いたのですが、一つ気になったことがありました。それは長い間茶道にかかわっている人でも、また免状を持っている人でさえも、自信がなさそうな人たちが何人もいたことです。「茶道」の「道」の方に注目すると、厳しい稽古を通して克己の精神を涵養し、人格を練り上げるというような精神修養の要素が入るので、「道を究めた人」と自分を比べると、まだまだだ、などと思ってしまわれるのかなあと思います。

そのように、自信のない人たちに接しているときに、教会にもそういうタイプの人たちがいるなと思いました。それらの人たちは、キリスト教を「キリスト道」というように、教えではなく「道」と理解しているのかもしれません。パウロも、「私は、すでに得たのでもなく、すでに完全にされているのでもありません。ただ捕えようとして、追求しているのです」(ピリピ3:12)と書きました。あのパウロでさえ道を究めていないと言うのなら、「わかったなんて言うのはおこがましい」と思う人がいても不思議ではありません。