■日本という国の役割について考えた

紹介文
日本人クリスチャンは、白人よりも自分たちは劣っているという自己像を持っている節があります。世界史の中で日本が果たしてきた役割を理解しないで、「日本は絶対的な悪者」だという偏った歴史観を受け入れているからだと思われます。白人絶対の時代が終わって、人種平等の理念が国際社会にいちおう定着したことの背景には、日本の貢献があります。

「永遠に、一方的に」第2次世界大戦の被害者に謝ることが悔い改めではありません。悔い改めとは、日本の存在が世界の祝福となり、祝福の源泉として機能することです。西洋的ではない形で日本人がキリストを受け入れるとき、日本がフルスペックで世界に仕える役割を果たすというのが私の確信であり希望です。


以前、確かNHKの「映像の世紀」という番組だったと思うのですが、着飾ったイギリス人女性が数段高いところに据えられた椅子に腰掛けて、階段下に群がるインドの子どもたちにお菓子を投げ与えている映像を見たことがあります。まるで、家畜に餌をやっているようで嫌悪感をもよおしたことを思い出します。

しかし、日下公人(くさか・きみんど)によると、「オランダ人でも、フランス人でも、イギリス人でも、アメリカ人でも同じことだが、植民地では使用人に何かを与えるとき、手渡すことなく床に投げ捨てて拾わせた」のだとのこと。ということは、大の男に対しても同様の態度で接したということです。

日下著「絶対、世界が日本化する15の理由」から、もう少し引用してみましょう。「イギリスはインド国内に鉄道を敷設し、インド人もそれを利用したが、利用するだけだったインド人が、日露戦争の日本の勝利などに刺激を受けてやる気を出し、『われわれだって機関車をつくれる』といって実際につくったらしい。」

「それで宗主国人たるイギリス人に『どうです。褒めてください』と言うつもりで披露したら、イギリス人は烈火のごとく怒って、『おまえたちに機関車を保有する資格はない。二度とつくるな』とメチャメチャにこわしてしまったという。人間だけが文明の利器を操れる。人間でないものがそれを考えるのは摂理に反することらしい。やはり有色人種は『家畜』とみなされた時代だったと言うべきだろう。」

インドの話のようなことは、アジア・アフリカ・南北アメリカで何百年もの間続きました。後藤牧人は「日本宣教論」で、いかに白人が有色人種に対して搾取と強奪を繰り返してきたかという資料を多数紹介しています。