■わが友イエス

紹介文
イエスさまは弟子たちに、「わたしはもはや、あなたがたをしもべとは呼びません。しもべは主人のすることを知らないからです。わたしはあなたがたを友と呼びました。なぜなら父から聞いたことをみな、あなたがたに知らせたからです」(ヨハネ15:15)とおっしゃいました。

「しもべ」ではなく「友」と呼ぶとはどういうことでしょうか?


・しもべから友へ

最後の晩餐。それは、イエスさまの弟子の卒業式としての意味もあったのだと思います。なぜなら、この後、イエスさまは捕縛され、一人で十字架への道を進まれたからです。この弟子たちとの最後の食事の席で、イエスさまは大胆に語られました。「わたしはもはや、あなたがたをしもべとは呼びません。しもべは主人のすることを知らないからです。わたしはあなたがたを友と呼びました。なぜなら父から聞いたことをみな、あなたがたに知らせたからです。」(ヨハネ15:15)

このときまで、イエスさまと弟子たちの関係は、巡回するパリサイ派のラビ(教師)と、その随行者である弟子たちのような関係でした。たとえば、マタイの福音書20章に収録されているぶどう園のたとえは、雇い主である主人が、市場でぶらぶらしていた労務者たちを雇うという話です。このように、主人(または先生)としもべ(または生徒)という類型をイエスさまと弟子たちに当てはめた記事は福音書に多く見られます。

ところが、この日、主従関係が友だち同士の関係になりました。しもべと友は何が違うのでしょう。イエスさまの言葉を見直すと、師匠がしもべに、父から聞いたことをみな知らせたときに、しもべが友になる、と理解できます。罪なき創造主なるイエスさまが、罪ある被造物である私たちを友と呼ばれるとは、いったいどういうことでしょう。