■「聖書から見た資産防衛」
紹介文
資産防衛は資本主義という制度下に生きる私たちの責任です。また、日本の最高法規である日本国憲法によって保障される自由と権利を実現するための責任が、資産防衛だということもできます。だから、資産防衛は、時に国家権力に抵抗してでも実行する必要があります。
この世で資産防衛という責任を果たすことは、「クリスチャンの最高法規である聖書に約束されている祝福を味わうために、神の言葉に従うという責任を果たす」という真理の適用だと考えることができます。
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好むと好まざるとにかかわらず、私たち日本人は皆、資本主義制度下で生きています。「主のために、すべて人間の立てた制度に従いなさい」(第1ペテロ2:13)とあるように、制度の中で生活する者に課せられた責任があります。資産防衛は、その一つであり、信仰の実践と結びつけて考えるべき非常に重要な概念だと私は考えています。
「権利の対義語は義務」だと考えている人が多いですが、権利と対をなす概念は責任です。義務はたんに守るべきこと、行うべきことですが、責任は権利を行使するために必要不可欠な原則です。神は天地を創造され、人をお造りになったときに、自由を与えられ、義務によって人を縛ろうとはされませんでした。あくまで人がみずから選択し、神に従うことを願われ、他の被造物を治める責任を与えられました。
資産防衛は義務だと言ってしまうと、もはや私たちは資本主義社会の奴隷のようになってしまいます。資本主義を神格化することにもつながります。それは、祖国のために戦うのは私たちの義務だというときの、あの響きに似ています。そこには、もう選択肢はありません。