■神の武具と主の祈り

紹介文
エペソ人への手紙第6章に記されている6つの神の武具は、監禁場所でパウロが「主の祈り」を瞑想しながら書いた文章ではないかと思っています。真理の帯・正義の胸当て・平和の福音の備えという3つの武具は、「主の祈り」の、御名の聖別・御国の到来・御心の実現に対応しています。これは戦いの目的を指し示しています。

第4の信仰の大盾と第5の救いのかぶとは、日ごとの糧に関連づけられます。戦士は日々の主との交わりを通して、主が与えられる完全な防御と救いを確信します。

第6の御霊の与える剣は両刃の剣で、内面的な悔い改めの領域と外面的な行動の領域の両方で、神のことばが日々具体的に与えられます。そのことによって、「主の祈り」に含まれている「私たちに負いめのある人たちの赦し」を実行し、「悪からの救い」を得ることができます。


・はじめに

エペソ人への手紙とコロサイ人への手紙は、パウロが普段から繰り返し話していた内容を最も多く含んだ書だと考えられます。

第1の理由は、諸教会で生起した具体的な課題や論争に対する解決策提示の割合が少ないこと。

第2に、両書ともテキコに託していることから同じ監禁場所で書かれたと考えられますが、類似した内容を異なる文脈の読者に送り、しかも回覧するように指示しました。そのようにしたのは、そこに普遍的なメッセージが含まれている可能性が高かったからだと考えられること。

第3に、閉鎖的な監禁状態の中で、暗記していた聖句や定型句と併せて、普段のスピーチの核心を思い出しながら書いたと想像されることです。特にエペソ人への手紙は、もっとも教理的色彩の濃い書だとされています。

さて、本稿では、上の第3の理由で説明した「パウロが暗記していたと思われる定型句」の中に「主の祈り」が含まれており、その影響がエペソ人への手紙6章の「神の武具の装着」に反映されていると仮定します。ペテロや他の使徒たちとも交流のあったパウロが、「主の祈り」という定型句を知っていた可能性は相当高いと思うのです。