■高価で尊い
紹介文
バビロン捕囚の時代に、神の所有の民イスラエルは、自ら犯したそむきのゆえに、人手にわたってしまっていました。それでも、神は、預言者イザヤを通して、「わたしの目には、あなたは高価で尊い」とイスラエルに声をかけられ、愛しているがゆえに超大国エジプトを含む三国を身代金としてペルシャに支払って買い戻すと約束されました。
キリスト者もまた、御子イエスさまという身代金が払われて贖われ、神の民とされた者たちです。その支払いは十字架の上で完了され、私だけでなく千代にも及ぶ恵みを受けるものとされました。私たちは、自分が誰で、どんな立場に置かれたのか、そのためにいかなる犠牲が払われたのかを知るべきです。
—
・身代金
「わたしの目には、あなたは高価で尊い。わたしはあなたを愛している」(イザヤ43:4)という聖句を座右の銘としているクリスチャンは多いことでしょう。しかし、その同じ節の後半に注意を向ける人は少ないのではないでしょうか。そこには、神がイスラエルを愛する結果として、三つの国を身代金とする、と記されています。
イエスラエルでは、親族の中の誰かが死んだとき、主が故人に割り当てられた土地や家族が人手にわたらないようにするための規定が律法の中にありました。親族の中でもっとも近い身内の者がそれを買い取る権利がありました。ルツ記の物語の前提となっている制度です。また、すでに人手に渡ってしまった場合は、買い戻すことになるのですが、そのときに支払うのが身代金です。
イザヤ書が書かれた時代に、神の民はバビロンの手に渡っていたのですが、神はご自分が「もっとも近い身内」としてその義務を果たそうとおっしゃっています。エジプトとクシュ(エチオピア)とセバを、身代金としてペルシャに支払うとおっしゃるのです。事実、ペルシャはバビロンを倒したあと、エジプトを征服し、イスラエルは捕囚から解放されるようになります。
読む人は大抵、自分をイスラエルに置き換えて読むのですが、一方では身代金として他国に売り渡されて生命を落とした多くの人たちがいたという事実もあります。神は最初から、イスラエルを他国に優先し、特別に選び、愛し、育ててこられました。