■Bとの旅路-知的障がいがある息子を通して学んでいること (2)神さまの似姿との関連
紹介文
前回から、私の息子Bとの歩みをとおして学んでいることをシリーズで分かち合っている。重度の知的障害があるBと親子関係になって5年が経った。これまでほとんど縁がなかった世界で、ほぼ何も知らないところにいた私にとっては、厳しい訓練のときでもある。
しかし、私が思っていたよりも多くのことをBが理解していて、またこちらに対して一生懸命コミュニケーションをとっていることがわかってきた。Bのような人は、かわいそうとは思われても、尊敬されることはほとんどと言っていいほどない。
もしBも神さまの似姿に造られているならば、尊敬に値すると私は思う。今号では、そのことについて、私が感じ、学んだことを分かち合う。
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学び2:Bは神さまの失敗作ではなく、しっかりと神さまの似姿に造られている。
Bを見ていると、神さまは一体何を考えておられたのだろうと疑問に思うことがよくある。Bの問題で悩み、泣きながら神さまにその問いかけをすることもある。神さまの悪い冗談に思えて腹が立つこともある。確かにBは、普通の人が当たり前にできることができない。人の助けがなければ、まともに食事をすることも、健康でいることも、衛生的な生活をすることもできない。
しかし、私がどんなに頑張っても真似できない特徴がBにはある。Bは人を傷つけようと思うことが決してない。自分で自分を守れないという一面でもあるのだが、誰かに何かをされたからその人に仕返しをしようとか、その人のことを悪く思うとか、そんなことは一切ない。