■Bとの旅路-知的障がいがある息子を通して学んでいること (3)私の礼拝のあり方

紹介文
知的障がいのある息子Bとの歩みの中で神さまから学んでいることをシリーズで分かち合っている。これまで私が関わってきた信仰の共同体の中では、Bの居場所がないと感じ、Bや自分が無理して共同体に合わせるのではなく、様々な制限があるBとの生活の中で、どのように神さまを礼拝したらいいかについて、神さまが何をおっしゃっているかを模索してきた。

今号では、「Bは普通の信仰生活を送れない」という考え方から、「Bが送ることができる信仰生活はどのようなものなのだろう」と考えるようになった私の旅路を分かち合う。


学び3:私にとってはBに仕えることが神さまに対する礼拝である。

Bが体調を崩してから、私は日曜日に教会に行かなくなった。残念ながらほとんどの既存の教会には、Bのような人のための場所がないと感じる。3分間も黙ってじっとしていることができないB(誇張ではない)にとって、1時間以上も続く礼拝に出席することなど不可能なのである。また、口でイエスを主と告白して人は救われるという教えから見たら、Bは救われることができないことになる。

でもBは確かに神さまの似姿に造られていて、イエスさまを通して神さまと歩むために造られたのである。だとしたら教会は、Bのような人間に対してどのような道を提示するのだろうか。