■ちょうど良いストレス

紹介文
ストレスを感じることは良いことだ、と信じている人にとっては、重度のストレスを感じても健康を害さないばかりか、かえって喜びや勇気を感じるときの状態に似た反応が起こります。

聖書を学ぶ者は首尾一貫感覚を持ちやすいために、ストレスを最小化できるだけではなく、神の許しの中でストレスが与えられているというように、ストレスを肯定的に受け止めることができます。

ストレスから逃げないで、試練の中でも、「ちょうど良いくらいのストレスです」と告白することで、神への信頼を表現しましょう。そうすることで、自分だけではなく他者をも祝福することができます。


・思わず出た言葉

四方山話の中で、現在自分が取り組んでいるプロジェクトについて友人に分かちあいました。思わぬ時間がかかってしまってはいるものの、昨今では、少しずつ成果が表われてきて、「未知の領域で羽ばたく」というような自由な感覚も次第に持てるようになったと伝えました。そして、話の最後に、「大変だけど、『ちょうど良いストレス』があって楽しい」と申しました。

すると友人は、「そうですね。私も若いときに同じようなプロジェクトにかかわらせていただきましたが、最後には良い結果が出ました。当時は苦しいことも多かったけれど、今思えば、『ちょうど良いストレス』でした。懐かしいです」と答えました。

自分の口から出た「ちょうど良いストレス」という言葉を、友人が取り上げて同意してくれたことで、改めてストレスについて考え始めました。ストレスは、倦怠感、不眠、首の凝り、頭痛、耳鳴り、めまい、胃痛、肌トラブルなどの原因となると言われています。そのため、ストレスは健康の敵だと考えていました。

しかし、本当にそうなのでしょうか。何かを成し遂げようとするとき、あるいは、自分を高めていこうとするときに、ストレスをまったく経験しないということが考えられるでしょうか。問題は、ストレスが良いか悪いかではなく、ストレスをどう解釈するか、なのではないでしょうか。ここではストレスという言葉を、外部から刺激を受けたときに生じる緊張状態という意味で使っています。