■言いにくいことを口に出す
紹介文
Bとの旅路から学んだことを数回にわたって分かち合ったが、もう一つ、付け足したいテーマがある。
それは「言いにくいことを口に出す」である。Bは自分で自分のことが言えないので、Bを守るためには人に言わなければいけないことがあるのだが、言いにくいことが非常に多い。最初のころは、その言いにくいことをはっきりと言わなくても、相手がなんとか汲み取ってくれたり、時間が解決してくれたりすることを待っていたが、それは必ずしも健全ではない。
男性だからだろうか、それとも違う文化で育ったからだろうか、それとも性格なのだろうか、私の夫は、言いにくいことを躊躇なくはっきりと言える。もう少し柔らかく言ってくれればいいのに、とは思うのだが、夫を通して、「口に出すこと」の力を感じた。
Bの生活の中でも、言いにくいことを賢く巧みに言うことが必要だし、また私の周囲で起こっている事柄にとどまらず、様々なところで起こっている虐待やハラスメントの問題にも通ずるものがあると思う。今号ではそのことについて私が学んだことを分かち合う。
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「死ね、死ね、死んじまえ!」いきなりBが歌い出す。Bは自分で言葉を考え出すことができないので、Bが話す言葉は、周囲の人たちが繰り返し使う言葉である。自分が小学校ぐらいの時によく耳にした節と似ているので、大人ではなく子どもに言われたのだということがうかがえる。施設の職員に話そうかと思ったが、なんとなく言いにくい。子どもが言ったことだからまあいいかな、と思いとどまった。
また別の時にBが言う。「罰です!」これは、間違いなく大人に言われた言葉である。「罰って何?」とBに聞いても、もちろん答えはない。ほかの子どもたちが言われているのを聞いて覚えたのだろうか? それともBが言われたのだろうか? 罰って何だろう? 叩かれるのだろうか? 非常に気になるが、やっぱり言いにくくて思いとどまってしまう。
私の夫は、「言いにくいこと」で躊躇したり、悩んだりすることはない。あるとき、家の近所の道を車で走っていたら、道の脇で子どもを叩いている母親がいた。周りの状況から、私は子どもが危ないことをしてそれを叱っているのかと思った。一方私の夫は車を止めて窓を開け、とても大きな声で、「子どもを叩いてはいけません!」とその母親を叱る。彼にとっては、子どもを叩く言い訳の余地は全くないのである。