■植民地主義的宣教に対する反省-遅れた反省(2)

紹介文
キリスト教宣教の中には、植民地主義的な価値観が潜んでいる。我々はその現実を一刻も早く認識して、方向転換しなければならない。

5月21日号に引き続き、今回は、植民地主義について考えさせられるきっかけとなった例をいくつか挙げながら、この問題にさらに深く踏み込んでいきたい。


私がキリスト教会に潜む植民地主義について考え始めたのは、宣教師として海外に赴いてからのことで、当初はその時に感じていた違和感が植民地主義と関係していると思っていたわけではなかった。

しかし、ともに働く宣教師や、彼らを背後で支えるクリスチャンたちの中には、私が知っている神の国の価値観とは違うものがあるように感じていた。その時は、特に指摘するということもなく、ただ意見の違いがあるのだと考えていた。

しかし、彼らの価値観のために現地の人たちが傷つくのを目の当たりにするに従って、私の中にあった違和感は次第に大きくなっていった。同時に、神の国とは違うその価値観のことを、何とか言い訳しようとする自分に気が付くにつれ、その原因を追究し、理解を深める旅路が始まったのである。

5月21日号で言及した、ベルギーの植民地主義の反省事項は、キリスト教の宣教の歴史で反省するべきだと私が考えているものと非常に多くの共通点があった。