■「キリスト教は宗教ではない」と言い続けても大丈夫なのか

紹介文
「キリスト教は宗教ではない」「信仰と宗教は違う」プロテスタント福音派の背景で信仰生活を送っている人々にとっては、違和感なく受け入れられるこれらの主張は、5つの危険をはらんでいます。それは、(1)独善主義、(2)ダブルスタンダード、(3)宗教対立、(4)自己矛盾、(5)宗教への侮辱、(6)異端化です。私たちが信じるイエス・キリストは、たとえ人間が規定した「宗教」という枠の中でも、私たちを救うことがおできになる方なのではないかと思うのです。


「キリスト教は宗教ではない」という主張を耳にされたことがあるでしょうか? 宗教とは人間が作ったものである。キリスト教は人間ではなく神ご自身(イエス・キリスト)が啓示されたものであるから、宗教ではない、とする説明です。私もこの説明を何度も聞いてきましたが、ずっと「アーメン!」とは思えない自分がいました。

イスラム教も、ユダヤ教も、ヒンズー教も、神道も仏教も、すべて宗教である。しかしキリスト教だけは違う。カトリック教会はそのような主張をすることはありませんが、宣教団体も含めてプロテスタントの福音派の一部では、そのような言葉が違和感なく説教や伝道で語られているのではないでしょうか。

それは、イエスさまと自分たちを混同した教説のように感じられます。確かにイエスさまが伝えたかったことは宗教ではないと思います。しかし私たちがしていることは宗教ではないでしょうか。私はキリスト教が宗教であると認めることは決して悪いことではないと考えています。