紀元1世紀の教会出席:11

その17 織工の妻

織工の妻が話し始めました。

「ここに座ってアクラの言ったことを考えているうちに、初めにここにいる全員に、次に、特定の一人に私が何かを語るように神が望んでいることを知りました。神は私たちが分かち合うためにもっと多くのものを賜わり、私たちが今経験する賜物をさらにいっそう役立つものにしてくださいます。それを私たちが知ることを神は望んでいます。

私たちが自分のために賜物を求めるなら、このことは起こりませんが、私たちがひたすら互いに仕え合うことに専心するなら、このことは起こります。もし、私たちが進んでこのことを行なうなら、私たちのグループの外においても、私たちが主に心を向けてほしいと願っている人たちの間で、私たちの賜物を使う機会を見いだすでしょう」

賜物を使って互いに仕え合うということについて、織工の妻はさらに言いました。

「特にリュシアスさん、アリストブーロスがあなたに与えようと願っている自由の結果としてこのことが起こるということを、あなたが確信するように神は望んでいます。それによって、あなたははるかにいろいろな仕方でアリストブーロスに仕えることができるようになるばかりでなく、今のところあなたにはできない仕方で他の人たちに仕えることができるようになります。ですから、あなたは確信をもって早速この歩みをなすべきです」

彼女が語り終えると、想像できると思いますが、先ほどの議論があった後なので、彼女の話に対する反応は、概してとても肯定的でした。

一息ついた後、ガイユスが立ち上がり、祖母のマリヤのところへ行きました。彼は彼女のそばに立ち、その頭に手を置き、他の人たちにも彼女のために一緒に祈ってくれるように頼みました。それから、彼は、彼女のために神のいやしの力を求めるとともに、先週のうちに彼女の健康が改善したことを神に感謝し、これが完治するように引き続き願いました。

このようにして、このグループではさまざまな人たちが、互いの生活のさまざまな面のために、次から次へとあらゆる種類の祈りをするのだと思いました。
正直に言うと、このことが続いたとき、私は少し眠くなってきましたが、おそらくランプの煙のためであり、何か他の理由によるものではありませんでした。

もっとも、なかには長すぎると思われる祈りもありました。
私の印象では、クレメンスも何度かそのように感じていた様子で、ややじりじりした感じでスリッパをあちこち動かしたり、あきらめたようにため息をついたりしていました。
しかし最後にアクラが、皆が知っている短い別れの歌を歌うことを提案し、集会を終わりに導きました。
私たちはその歌を歌い、集会は終わりました。

ところが完全には終わっていませんでした。
というのは、以前にクレメンスが、いったい集会はいつ本当に始まったのだろうと、私に語ったことを思い出したからです。

フィロロゴスとその妻は、彼らをもてなしてくれた主催者夫妻にただちにおやすみのあいさつをし、子どもたちと一緒に退出しました。
プリスカが彼らを見送りに行きました。
2番目の家族も、夜が更けたので帰らなければならないと言いながら、別れを告げました。
これら2組の人たちは、家を出る時に私のところに来て、ローマでの滞在が祝福されたものとなるようにと言い、一方の人たちが私を次週の夕食に招待してくれました。
私はそれを受け入れました。

その18 帰り道

他の人たちはそのまま残り、小さなグループに分かれて話をしていました。
プリスカは戻ってきて、彼らにワインを出しました。
部屋の片隅でアリストブーロスが何やらヘルマスと議論しており、ヘルマスの抵抗を無視して、ひそかにお金を渡そうとしていることに、私は気づきました。

2人の奴隷も別れを告げ、アクラは彼らを広間からドアまで案内しました。
私たちも帰る決心をして、広間までついていきました。
その2人がまさに出ていこうとした時、私たちの前にいたプリスカは、彼らを呼びとめ、残りの食べ物がたくさん入った二つのナプキンを彼らの手に押しつけました。
彼らは去り、私たちもお別れを言い始めました。
私は、招いてくれたことを主人に心から感謝しました。
彼らは、私がローマに滞在している間はいつでも、またクレメンスとユーオディアと共に来てくれることを歓迎しますと、私にはっきり言いました。
私たちがサンダルを受け取った後、私を除いてすべての人たちが別れの口づけをし、アクラとプリスカもそれをしながら、彼らを神の恵みに委ねました。
それから、私たちは外套を取って肩にかけ、夜の外に出ました。

外は真っ暗でした。月が満月に近く、かなり高く上っている場合は別ですが、私たちの首都の道は特別の場合しか明かりが灯されないので、通常は道を通り抜けるのがいつもむずかしいのです。

真っ暗な通りには、私たちの前にいる、声は聞こえるが見えない2人の奴隷以外には、通りにはだれもいないようでした。
ほとんどの人たちは、もう何時間も前に眠りについていました。
というのは、私たちローマ人には、早起きをして昼の光を最大限に利用する習慣があるからです。
夜にゆらめくランプや煙に満ちた部屋は、とうてい夜更かしをする気にさせません。

「フェリクス」と、クレメンスは奴隷の一人に呼びかけました。

「行けるところまで一緒に歩いていこう。そのほうが安全だ」
他の人たちも同意し、私たちが追いつくのを待ってくれました。
その時、アリストブーロスも、私たちの後ろの戸口から現われました。

「あなたたちがあまり遠くに行っていなければいいと思っていました」と、彼は言いました。

「リュシアスがたいまつをもっていますので、私たちが一緒に行けば、全員がその益にあずかることができます。私たちには少し遠回りになりますが、問題はありません。私たちのことなら心配いりません。そうだね、リュシアス」

この申し出は、うれしいものでした。
ローマは、夜間はどろぼうや追いはぎで悪名高いところです。
言うまでもなく、いたるところに野犬が、あるいは豚さえも野放しで走り回っています。
狭い通りでは行く手がよく見えないので、昼間の終わりを告げる鐘が鳴った後に町に出入りする荷物を積んだ大きな荷車にひかれてけがをしたり、時には死んでしまったりすることもあります。
警戒しなければならないのは、これらだけではありません。
いまでも、とても多くの人たちは、だれも見ていないとき、夜間に汚水おけやトイレ用なべの中身を窓から投げ捨てていました。
これについても、実際上どうしようもありませんでした。
夜間に外出するときには、祈るような気持で最善を願うしかありませんでした。

私たちは歩いていました。他の人たちは、今夜の出来事についてあれこれ語り合っていました。

私はその日の午後に出かけたときから起こったことを思い返しました。
私の予想とはとても違うものであることが分かりましたが、おおむねその夕べを楽しんだと言わなければなりません。
そこにいた人たちがたしかに私の印象に残ったというのは、一つ言えることです。
彼らが無視したいくつかの礼儀や、彼らが抱く信念や、彼らを支配する熱狂については疑問が残りますが、食事中の彼らのやりとりには何か感じるものがありました。
食後においてさえ、そうでした。
彼らのふるまいには、まぎれもなく本当の何かがありました。
しかし、彼らの集会は、宗教の観点からすると、とても不充分であり、彼らが行なったいくつかの珍しいことについては、とても当惑しました。
次週も出席してほしいというアクラとプリスカの招待に、はたして応じたものだろうか。
それはむずかしい判断です。
今はまだ分かりませんが、もしかしたら行くかもしれないと思いました。

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