4:現代日本教会への提案

ヒトデ型教会のススメー現代日本教会の閉塞感を打破する試みとしてー

『福音主義神学』(第38号)より転載:宣教戦略シンクタンク「RACネットワーク」福田充男

4:現代日本教会への提案

ステパノの迫害以降の初代教会は、ヒトデ型組織の特徴を持っていた。
小さくてフラットで生活に根付いた「サークル」が次々と生まれた。
模範を示すことで指導し、新しい任地に継続的に派遣されていく使徒や預言者たちが「触媒」として機能していた。
失われた人々に対する神のあわれみに共振する人々が、諸国民をキリストの弟子とするという「イデオロギー」に生命をかけた。
ムーブメントは、拡大家族と離散ユダヤ人という「既存のネットワーク」を土台として拡大した。
そして、働きを実際に推し進める「推進者」として、使徒、預言者、伝道者、牧師、教師という諸機能を担う人々のチームがあった。

一方、現代の日本の教会は、総じてクモ型である。
日本の教会は、サイズは小さいが、メンタリティーは中央集権型・プログラム依存型である。
知識と権限が「教職者」に集中していて、主に説教を通して、健全な教理とメンバーの信仰の質を管理する努力がなされる。
教会の主な関心事は、教会堂で「教職者」が指導するプログラムに人々を招くことを通して、さらに大きな会堂に、さらに多くの人が溢れる「さらに強大なクモ型組織」になることである。
メンバーは、既存のネットワークから引き離されて、教会の文化に同化するように導かれる傾向がある。
そして、教室で真理を明らかにするという教師の機能が土台となっているため、分散して世界に派遣されていくという視点が見過ごされがちだ。
その結果、クモの頭である「教職者」と彼らを支えてきた世代の高齢化によって力を失い、社会の功利主義化・個人主義化・ニーズの多様化という変化に柔軟に対応できないで孤立している。

そこで、本項では、クモ型組織である日本の教会が、ヒトデ型組織である初代教会の原則から、何を学ぶことができるかを、ヒトデ型組織の5つの足の分類に添って考察する。

 

1)自律的なサークルの回復

イエスは、「ふたりでも三人でも、わたしの名において集まる所には、わたしもその中にいるからです。」(マタイ18:20)と言われた。
数人のグループには、触媒や推進者が必ずしも含まれていない、という点から考えると、大きな集団の中でこそ経験する神の恵みがある、と考えることもできる。
しかし、他ならぬイエスが「その中にいる」とおっしゃっていることを過小評価してはならない。
教会史の中で、百年以上続いたムーブメントとして、モラビア伝道団とメソジスト運動を挙げることができるが、その2つとも、少人数の親しいメンバーが相互に罪を告白するアカウンタビリティグループがあった。
日本の教会がヒトデ型組織の要素を取り入れる一つの道は、「教職者」が支配しないアカウンタビリティグループをリリースすることだと思われる。#11

2)ライフスタイルの手本を示す触媒

迫害下の初代教会の時代に、未信者がクリスチャンを生まれて初めて見たのは、たいてい彼らが円形闘技場に引き出されて虐殺されるときだった。
クリスチャンは殺せば殺すほど増え広がった。
それは、彼らの死に様が、未信者に決定的な影響を与えたからだ。
自分が殺されようとするときに隣人を思いやり、死を恐れずに神を賛美している姿は、日常生活の中で神とどのような関係を結んで生きたかという清められたライフスタイルの結実である。
このように、伝道イベントを開催できない環境の中で、神を愛し隣人を愛するという「生きる道」が伝搬していったのである。
神の国の偉大さが、日常生活の中で御言葉に生きる人々の模範によって証しされていくときに、それらの触媒を通して「キリストに従って生きる道」が、疫病のように広がっていく可能性がある。
「集会に来て奉仕しなさい」という内向きの教えではなく、「出ていって生活の場で隣人を愛しなさい」という外向きの模範を示す触媒の登場が求められている。

 

3)「地を主の弟子で満たす」というイデオロギー

毎年日本では約90万人の人が死亡している。
仮に今日1日で2,500人が死亡したとしよう。
そのうちの1%がクリスチャンだったとすると、25人程は永遠の生命の約束を受けているという計算が成り立つ。
それは同時に、あとの2,475人は滅びに向かっている可能性があるということだ。
イエスはその人たちを見て、あわれんでおられないだろうか。
現状では、主を知らない人たちが地に満ちていて、順番に滅んでいくのを待っている状態である。
「われにスコットランドを与えよ。しからずんば死を与えよ」と祈ったジョン・ノックスの祈りと同様の祈りを、神は日本のクリスチャンにも求めておられるのだと思う。
数年以内に、千人規模のクモ型教会が新しく10生まれるなら、それは素晴らしいことだ。
しかし、ほとんどの人が滅びていくという大局に重大な影響を与えるほどのインパクトはない。
細胞分裂のように、幾何級数的な増加が見込まれるヒトデ型教会の増殖なしに、地が主の弟子で満たされるという命令が、国レベルで実行されることを想像することはできない。
このような増殖は、会堂を教会員で満たすのではなく、地を主の弟子で満たすという「イデオロギー」によって推進される。

 

4)海外邦人と在日外国人のネットワーク

ヒトデ型教会の拡大のために土台となりうる既存のネットワークとして、少なくとも2つのネットワークが考えられる。
1つは、現代のディアスポラとも称される海外邦人である。
日本人は強大な経済力を背景に、世界のあらゆる所に進出している。
世間のネットワークから引き離されて自由になった一方、アイデンティティの危機を経験するようになった海外の日本人が、キリスト教に対してオープンになり、日常生活レベルのクリスチャンの支援を受けて、回心に導かれるというシナリオがある。
また、彼らの流動性のゆえに教職者が派遣されにくいという状況が、日常生活に根付いた相互扶助のネットワークの形成を促進している。
離散ユダヤ人が、初代教会の福音伝搬のために用いられたように、海外邦人と帰国者が、日本人による世界宣教の担い手となる可能性がある。
同様のことは、日本在住の外国人ビジネスパーソンと家族、また外国人留学生にも当てはまる。
これらのコミュニティをターゲットとする働きが実を結ぶならば、日本国内に軸足を置いて世界宣教を展開することができる。

 

5)5つの機能のバランスがムーブメントを推進させる

教師機能が支配的な教会では、人々は絶えず目新しい情報を教師に求めて依存する。
牧師機能が支配的な教会は、時々現われては消えていく。
人々はいやしを求めて教会に集まるが、一時的に殺到するために、スタッフが対応できずに燃え尽きることが多いからだ。
伝道者機能が支配的な教会では、未信者を魅了する「ショー」を通して回心者が起こされるが、新しいクリスチャンを育成するための挑戦は不得手で、常に人々を回心に導くための、いわば初歩的な教えが反復される#12。預言者機能が支配的な教会は、直感的な印象に振り回されて迷走する。いつも大逆転狙いで地道な努力が報われない。
使徒機能が支配的な教会は、中途半端な結果しか残せない。
新しい計画が実働する前に、次の計画を立てようとするからだ。
どの機能も神から与えられたものだが、支配的になってはならない。
バランスよく組み合わされて、相補的に機能する必要がある。

日本の多くの地域教会は教師機能が強く、超教派団体は伝道者機能が強いと思われる。
牧師機能の強い教会や預言者機能の強い教会が、海外のブームが波及する形でときどき注目されるが、使徒機能の強い教会は空回りしていてアイデア倒れになっている。
問題は、それぞれの持ち味を持った教会が、バラバラに展開していることだ。
これらの五つの機能が結びつくのは、使徒機能と預言者機能という土台の上でしかない(エペソ2:20)。
すなわち、地をキリストの弟子で満たすというビジョンと戦略が、神の導きに従って展開していく。
その基本路線に沿って、大胆に福音を伝え、神との関係や人々との関係を修正し、聖書に照らして進展プロセスを検証しながら、働きが進んでいくのである。

『福音主義神学』(第38号)より転載:宣教戦略シンクタンク「RACネットワーク」福田充男

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