3:巣立ちの日を意識して弟子を育てる

四つの県立高校のPTAが合同で主催する講演会に招かれた。テーマは「生きる力を育てるコミュニケーション―思春期の子どもに反発されない接し方」だった。

 

子育てには「抱く」「限界設定」「子別れ」の3つのステップがあるが、今回は、子育て終盤の高校生の保護者が対象だったこともあって、3番目の「子別れ」から始めて、時間軸を遡る順番で子どもとどう接するのかを練習してもらった。

 

まず、参加者全員に次のような作業をしていただいた。子どもの高校卒業時や二十歳の誕生日などの日付と子どもの名前を予め用意した「子別れ宣言文」に書き込むという作業だ。宣言文の一部を紹介する。

 

「私は、○○年○○月○○日に、翔太(仮名)を一人の大人として社会に送り出します。その時まで私は一所懸命、翔太の独り立ちを応援します。翔太が、以前のようには私の助けを必要としないところまで成長したことを感謝します。今日もまた、翔太の自立準備をサポートします。今日も翔太を手離す練習をします。そして、今日も翔太に、自立を意識させる言葉をかけます。」

 

自立を意識させる言葉とは、たとえば「高校を卒業して、お父さんやお母さんが一緒にいてやれなくなったときにも、一人で×××ができるようにしとこうな。」などという言葉のことだ。親の本気さが伝わるまで、何度も繰り返して伝えるようにと指導している。そうすることで「子どもを独り立ちさせることが親の役割だ」と親も自覚することができる。

共依存的な生き方を美徳としてきた日本社会で、子どもとの間に境界線を引くためには、親が日頃から子離れを意識して子どもに接しなければならない。実は、このような親子分離への働きかけは、思春期を迎えるずっと前の幼少期から始める方が良いのだ。

 

ただ、誤解してはならないのは、子別れとは唐突に子どもを突き放すことではない。小さい子どもは、しっかりと抱かれることで一人でいられる能力を発達させる。周囲に対して安心感を持つ程度に合わせて、行動範囲が広がっていく。そして思春期になると、親友や異性の方が親よりも大切になり、自然に親から離れていく。しっかりと抱きしめられた経験が分離の道を備える。

 

また、子どもの行動に制限を加え、限界を超えてわがまま放題にならないように教えることで、自分の責任範囲がどこまでかということを判断する枠組みを与えることができる。すると、自分のニーズを自分で満たしたいという思いも起こるだろうし、他者とも良い関係を築いて自分と他者の両方を守ろうと思うようにもなっていくだろう。限界設定をしてもらえなかった子どもは、親や社会に反発する傾向がある。その結果、親と距離を置くことが困難になる。

 

思春期の子を持つ親の多くは、子どもの成育過程で、必ずしも子育ての3つのステップを順調に踏んできたわけではないだろう。そうかと言って、もう一度「抱く」から順番にやり直すことはできない。それで、まず子別れを意識し、次に思春期の子をなるべくいらだたせないで限界設定をする練習をし、最後に新しい親子関係を築くための準備をする、という順番が好ましい。

 

教会の弟子育成もまた、子育てと通底している。弟子が神に愛されている独立した人格であり(=天)、異なる使命を与えられた大使であり(外=)、神の手の業として完成されていく別の芸術作品だ(=内)と最初から認めることができないなら、関わり始めてはならない。

そしてリーダーは、現段階では自分が責任を持っている活動を手放して被育成者に委ね、その働きの場から去る日を決める方がよい。イエス様が、「しばらくするとあなたがたは、もはやわたしを見なくなります。」(ヨハネ16・16)と弟子たちに告げられたのは、弟子たちが「父との自立的な交わり」に入るためだった。

 

弟子から離れる日を決めた上で、被育成者が、神の愛に報いるため(=天)、使命を遂行し(=外)、他者に喜んで仕える品性を宿すようにと(=内)限界設定をしていくなら、やがて弟子との間に、「共に主に仕える仲間」という新しい関係を築いていくことができるのだ。

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2012年12月〜2013年3月号の「風知一筆」より転載