Ⅱ. 弟子たちのコミュニケーション

Ⅱ. 弟子たちのコミュニケーション

それでは以下に、ルカの福音書第10章の七十弟子派遣の記事から、派遣された弟子たちが、派遣先で出会った平安の子とその家族に対して、どのようなコミュニケーションをしたかを概観する。

1)収穫のために働き手を送ってくださるように祈りなさい

パウロはテモテに対して、「他の人にも教える力のある忠実な人たち」(第2テモテ2:2)を教えるようにと命じた。
弟子育成のバトンが次々に手渡されていく様子を、家系になぞらえると、パウロが第一世代なら、テモテが第二世代、「忠実な人たち」が第三世代、そして、「他の人」が第四世代ということになる。
第一世代のパウロは、第二世代のテモテに、単に弟子を育てよと命じたのではなく、弟子育成者を育てるようにと命じた。
弟子育成のバトンが四世代先まで手渡されるようにすることが、幾何級数的に弟子が増殖するムーブメントの土台を据えるための必要条件なのである。

この増殖のDNAの創始者は、神ご自身だ。
すべての地上の生物は、人間を含めて「生めよ。ふえよ。地を満たせ。」(創世記1:28)という命令を受けている。
これはもとより、最初の人間が何十億人もの子どもを産むようになる、という命令ではない。
子が孫を、孫がひ孫をというように、世代が下って行くことが想定されている。
神がアブラハムを外に連れ出して「さあ、天を見上げなさい。星を数えることができるなら、それを数えなさい。」と語りかけ、さらに、「あなたの子孫はこのようになる。」(創世記15:5)と約束されたとき、アブラハムから数えて四世代目となるヤコブの子孫であるイスラエル民族、さらには、アブラハムの信仰を継承するイエスの弟子たちの群れを見通しておられたのだ。

そういう意味で、七十弟子は十二弟子によって育てられたと考えるのが自然だ。
イエスが十二弟子を育て、十二弟子が七十弟子を育てたとするなら、イエスから数えて三世代目の弟子が七十弟子だったということになる。
三世代目の七十弟子は、二世代目の十二弟子から弟子育成者として育てられた者たちであり、収穫の畑に出かけていって第四世代の弟子を育てるというミッションを与えられていた。
だから、七十弟子に委ねられた主要な働きは、収穫を刈り取ることではなく、収穫の畑の中で「収穫を刈り取る働き人」を育てることだったのである。

イエスは、「実りは多いが、働き手が少ない。だから、収穫の主に、収穫のために働き手を送ってくださるように祈りなさい。」(ルカ10:2)と命じられた。
この命令は、「働き人をリクルートしてから出かけなさい」という意味ではなく、「出かけたところで働き人と出会うように祈れ」という意味だった。
収穫の畑に出かける人たちは、すでに任命され、二人一組に分けられていた。
一つの町の救いのために、三人目の働き人が起こされるのを待つ必要はなかったのだ。
何よりも大切なことは、二人組の弟子が派遣された町で出会う平安の子たちが、弟子育成者を育てる育成者となること、つまり、霊的な孫を見ることができるように育てることだったのである。
このような弟子育成の連鎖が、結果的に広範囲にわたる収穫の刈り取りとなった。

一つの派遣事業で何人の回心者が起こされるのか、ということは、あまり大きな問題ではない。
収穫は多いと言われているので、それは多数に決まっている。
問題は、将来「霊的なひ孫」を持つ人が派遣されるかどうか、という点である。
七十弟子は、「狼の群れの中に子羊を送り出すようなもの」(3節)と言われても、「財布も旅行袋も持たず、くつもはかずに行きなさい。」(4節)と言われても、安全で便利な場所を離れて、宣教地に出かけていくほど宣教のために動機付けられた人たちだった。
彼らが見ていたものは、自分たちの働きを通して、イエスの家系に加えられていく霊的な子孫たちの群れだったのだと思う。

霊的なひ孫が育てられるために必要なことは少なくとも三つある。

1)弟子の一人ひとりが神に直接つながる。
もちろん、リーダーが模範を示す必要があるが、霊的な親に依存させてはならない。エリが少年サムエルに、「『主よ。お話しください。しもべは聞いております。』と申し上げなさい。」(第1サムエル3:9)と勧めたように、リーダーは弟子たちを神との直接的な対話へと導く必要がある。

2)「みことばを聞いてそれを悟る」(マタイ13:23)。
つまり「すべての人が救われて、真理を知るようになるのを望んでおられ」(第1テモテ2:4)る神の心を受け取ることだ。
家族や町や国や諸国が救われるために、世から召し出されたことを理解して実行することだ。

3)一緒に派遣された2人が一致して働けるように愛しあう。
「もしあなたがたの互いの間に愛があるなら、それによって、あなたがたがわたしの弟子であることを、すべての人が認めるのです。」(ヨハネ13:35)

弟子たちのコミュニケーションの特徴は、イエスの生き方を模倣することだった。
つまり、まず、自ら模範を示し、次に、手許で弟子たちが自分たちでできるように助け、その上で、霊的な孫を見ることができる者として派遣する。
神との直接的な対話も、世界宣教のための働きも、互いに愛しあうことも、単に教えるだけでは身に付かない。
模範、育成、派遣と続く実地訓練のプロセスの中で内在化され、世代を越えて増え広がったのである。

 

2)「この家に平安があるように。」と言いなさい

町のリーダーたちが斡旋してくれた家に入るときに、彼らがまずしたことは、平安を祈ることだった。
弟子たちは、「どんな家にはいっても、まず、『この家に平安があるように。』と言いなさい。
もしそこに平安の子がいたら、あなたがたの祈った平安は、その人の上にとどまります。
だが、もしいないなら、その平安はあなたがたに返って来ます。」(ルカ10:6)と命じられた。

ルカの福音書第10章の派遣は、自分のオイコス(家族や職場や地元の人脈)の外の領域への派遣なので、宣教者たちは、馴染みのない習慣を持つ宣教地の人たちと接することで文化ギャップを経験したに違いない。
文化的背景を異にする人々に出会ったときに、自分の文化では当たり前だったことが、外国に行くと適切ではないということを改めて認識する。
そのときに、自分の経験を絶対化して異文化を裁いてしまっては、相手を理解することはできない。
現代のように旅行が一般的ではなかった時代では特に、見知らぬ町に滞在するためには、最初にこのカルチャーショックを乗り越えなければならなかった。

そこで、イエスは弟子たちに、まず挨拶をするように命じられたのだ。
福音を待っている人たちは、福音を伝える人たちよりも劣っているわけではない。
無自覚のままだと持ってしまいがちな違和感や警戒感や敵対意識を捨てて、相手のありのままを受け入れて祝福するところからコミュニケーションを始めるべきだ。
「平安があるように。」という祈りは、条件なしに神があなたを愛しているというメッセージを相手に伝える。
平安とは、人間が受け取ることのできる神から与えられる祝福の総体を表わしている。#3
2人の弟子たちは、自分たちを受け入れてくれた家長とその家に、神から来るあらゆる祝福が注がれるように、という思いで訪問した。

また、ここでは、祝福する気持ちが相手に伝わるという以上のことが起こった。
つまり、「平安があるように」と宣言し、その人が平安を受けるべき人であるなら、実際に平安がその人の上にとどまったのだ。
「神が『光よ。あれ。』と仰せられた。すると光ができた。」(創世記1:3)という創造のときの権威の発動が宣教地で起こった。
イザヤ書で、「雨や雪が天から降ってもとに戻らず、必ず地を潤し、それに物を生えさせ、芽を出させ、種蒔く者には種を与え、食べる者にはパンを与える。
そのように、わたしの口から出るわたしのことばも、むなしく、わたしのところに帰っては来ない。
必ず、わたしの望む事を成し遂げ、わたしの言い送った事を成功させる。」(イザヤ55:10-11)と説明されている「言葉の現実化」である。

弟子たちは、神の国の王であるイエスから権威を委任されたものとして、宣教地の人々に対して、いわば神を代表し、神の働きを代行したのだ。
弟子たちは、イエスが命じられた通りに行動することで、「暗やみの圧制から救い出して、愛する御子のご支配の中に移」(コロサイ1:13)されていく人々を見ることができた。
その働きはまた、宣教者が恵みによって身分不相応な、栄光ある「義とする務め」(第2コリント3:9)だった。
平安を祈ることは、「いのちから出ていのちに至らせるかおり」(第2コリント2:16)として機能することだった。

家長が平安の子かどうかは、弟子たちが祈った平安を受け取るかどうかで見分けることができた。
コミュニケーションが展開するかどうかは、この最初の遭遇で決まった。
その時点で、狭義の伝道、つまり、「神の国の王に従って平安を受け取りつつ生きる方向に進めるための導き」は、一旦(あるいは、場合によっては永遠に)終了したということだ。
家長が平安を受け取った場合は、「家から家へと渡り歩」(ルカ10:7)かず、平安の子の家にとどまり、弟子たちのライフスタイルを見せることを通して、神の国を受け入れた人々を育成するために時間が使われた。

家長が平安を受け取らない場合は、祈った弟子のところに平安が戻ってくる。
その場合は、その町のために神が用意された平安が届けられないことになる。
彼らはその町の福音化を断念して、次の町に行くようになる。
粘って町に留まって福音を伝えることは禁じられた。
かえって、町の広場に出て、「私たちは足についたこの町のちりも、あなたがたにぬぐい捨てて行きます。しかし、神の国が近づいたことは承知していなさい。」(ルカ10: 11)と宣言するようにと命じられた。
神の時に、神と神が遣わされた人々を受け入れる用意ができているかどうかで、ソドムより重い罰を受けるようになるかどうかが決まる。
そういう意味では、弟子たちの派遣は、刈り取りの旅であって、種まきの旅ではなかった(ヨハネ:4:35参照)。
弟子たちは種を携えて畑に行ったのではなく鎌を持って畑に入った。「実りは多い」(ルカ10:2)のだ。

 

3)出されるものを食べなさい

家長が平安を受け取ったら、次にすることは、受洗準備コースに招くことではなく、一緒に食事をすることだった。「その家に泊まっていて、出してくれる物を飲み食いしなさい。働く者が報酬を受けるのは、当然だからです。家から家へと渡り歩いてはいけません。どの町にはいっても、あなたがたを受け入れてくれたら、出される物を食べなさい。」(ルカ10:7-8)
この派遣の記事の中で、「出されたものを食べよ」という指示だけが2回語られている。
「食事なくして働きなし」だ。
食べることは、相手の文化を受け入れることだ。
もし、納豆やらっきょを好んで食べる宣教師がいるなら、日本人はその人の言うことを信頼しやすいだろう。
地元の食物を食することは、宣教地の人々を受け入れることなのだ。

イエスのスタイルは、教室と食事を組み合わせることではなかった。
食事自体がミニストリーだった。
ザアカイの回心のエピソードは、そのことを如実に表わしている。
「イエスは、ちょうどそこに来られて、上を見上げて彼に言われた。
「ザアカイ。急いで降りて来なさい。きょうは、あなたの家に泊まることにしてあるから。」
ザアカイは、急いで降りて来て、そして大喜びでイエスを迎えた。
これを見て、みなは、『あの方は罪人のところに行って客となられた。』と言ってつぶやいた。
ところがザアカイは立って、主に言った。
『主よ。ご覧ください。私の財産の半分を貧しい人たちに施します。また、だれからでも、私がだまし取った物は、四倍にして返します。』イエスは、彼に言われた。『きょう、救いがこの家に来ました。この人もアブラハムの子なのですから。』」(ルカ19:5-9)客となること、つまり食事と宿泊のもてなしを受けること自体が、批判する人たちへのメッセージとなり、また、ザアカイの家に救いをもたらすことにつながった。

イエスは「狐には穴があり、空の鳥には巣があるが、人の子には枕する所もありません。」(ルカ9:58)とおっしゃった。
彼は自分の家を持っていらっしゃらなかったので、ホームパーティーを開くことはできなかった。
ほとんどの活動は、人の家の食卓でなされた。
エマオの途上でイエスにお会いした二人の弟子たちにとって、イエスとの食事は、特別な思い出だったに違いない。
目が開かれてイエスを認識するきっかけになったのは、イエスがパンを割く仕草だった(ルカ24:30-31)。
初代の弟子たちも、食事のために集まった(第1コリント11:33)。
食卓を囲むところに、礼拝、伝道、奉仕、交わり、教育のすべてがあった。
彼らは食べながら、救いの物語を辿り、主の死を告げ知らせ、貧しい人々に食事を分け与え、一つのからだであることを味わい、子どもたちに主のおきてを教えた。

食事の本当のご馳走は会話だ。
一人の雄弁な人がすべての会話を支配してしまうような交わりはつまらないし、彼の教えがたとえ卓越していても、人々の記憶には留まらない。
自分が話したことは留まるが、聞いているだけだと忘れてしまう。
すべての人が会話に参加し、すべての人が他の人の話に耳を傾ける。
あるときは教え、あるときは学び、あるときは戒め、あるときは悔い改める。
すべての参加者が、他の人の戦い、葛藤、勝利、敗北を知っている。
「あなたの戦いは私の戦いでもあり、あなたの勝利は私の勝利でもある」という関係が、そこで成立している。
このように、生き様が自然に表現される率直な関係を通して、キリストに従う模範が、生きた証とともに浮き彫りになる。
また、双方向的な会話を通して、人々はキリストご自身との直接的な対話の中に導かれていくのである。

平安の子の特徴を、覚えやすいように、「ひ・か・り」という三文字で表わしている。
三つのキーワードの最初の文字を並べた。まず、「ひ」は「開らいている」だ。
彼の心は神に対して開いていた。
弟子たちを歓迎し、弟子たちが祈った平安を受け取った。
次に、「か」は、「渇いている」だ。真理に対して渇いていた。
弟子たちがその町に到着したときに神の働きが始まったのではない。
ずっと前から彼の心に神が渇きを与えることで準備をされていた。
彼は、弟子たちと会って一所懸命学んだことだろう。
最後に、「り」は、「リーダー」だ。
彼は、町の中で影響力のあるリーダーだった。
彼が平安を受け取るかどうかに、町の命運がかかっていた。

このような特徴を持つ平安の子と弟子たちは、食事中何を話したのだろう。
かつてバプテスマのヨハネからの使者が来たとき、イエスは、使者に対して次のように答えられた。
「あなたがたは行って、自分たちの見たり聞いたりしたことをヨハネに報告しなさい。盲人が見えるようになり、足なえが歩き、らい病人がきよめられ、つんぼの人が聞こえ、死人が生き返り、貧しい者に福音が宣べ伝えられています。」(ルカ9:27)
平安の子との食事のときも、弟子たちは、自分が見聞きしたことを話したに違いない。
それは、イエスがなされた力ある働きだった。
イエスご自身を証しすることが、礼拝であり宣教であり交わりなのだ。

平安の子はイエスに心を開いただけでなく、すべてを捨ててイエスに従い、リスクを取って自分たちの町に来てくれた弟子たちの生き方にも関心を持ち、あこがれや好意を抱いたことだろう(使徒2:47参照)。
そして、神に対する従順と派遣されていく働き、また、互いに愛しあう姿をお手本にしようとしたに違いない。
弟子たちの姿は、神の国のあり方を見せるものだった。
平安の子は、弟子たちが指し示したイエスと、イエスによって遣わされた弟子たちの交わりの両方を見たのだ。

 

4)病人を直しなさい

弟子たちは悪霊の追い出しといやしを行なうための権能を与えられてから派遣された。
「イエスは、十二人を呼び集めて、彼らに、すべての悪霊を追い出し、病気を直すための、力と権威とをお授けになった。それから、神の国を宣べ伝え、病気を直すために、彼らを遣わされた。」(ルカ9:1-2)と記されている通りだ。
弟子たちが出て行くときに、神ご自身が、彼らの語る言葉が真実だということを、「みことばに伴うしるしをもって、」(マルコ16:20)お示しになった。
だから、食事をしながら弟子たちが分かちあったイエスの力あるわざのエピソードは、遠いところで起こった夢物語として語られたのではなく、食事中に、あるいは、食事の後で、平安の子の目の前で、弟子たちによって実証されたのである。

イエスの指示は、「その町の病人を直し、彼らに、『神の国が、あなたがたに近づいた。』と言いなさい。」(ルカ10:9)だった。
単に病人のために祈れと命じられたのではなく、直せと命じられた。
そして、実際に直った。
それは、宣教地から帰ってきた七十人が、「主よ。あなたの御名を使うと、悪霊どもでさえ、私たちに服従します。」(ルカ10:17)と、喜んで報告したことからわかる。
弟子たちにとっては、いくつかの例外はあったものの、病人を直すことは当たり前の行為だった。
病気のいやしや悪霊からの解放が伴わない神の国の宣教は、少なくともこの時代には考えられないことだったのだ。

平安の子は、自分や自分の家族がいやされることを通して、神の国の王が弟子たちと共にいて、全権大使である弟子たちを通して、権威と力を振るっておられることを知った。
教会は、イエスを「生ける神の御子キリスト」(マタイ16:16)と告白する信仰に立って、「ハデスの門」(マタイ16:18)を打ち破るものだ。
神の国の軍隊が進み、「狼」(ルカ10:3)の支配が打ち破られた証拠の一つが、悪霊からの解放であり病のいやしなのである。

もちろん、現実には、すべての病がいやされるわけではないし、ましてや、病人が神の国の外に置かれているというわけでもない。
病を経験することを通して人が成熟していくという例や、病の中で神の栄光が表わされるという例があることも承知している。
しかし、パウロが、「私のことばと私の宣教とは、説得力のある知恵のことばによって行なわれたものではなく、御霊と御力の現われでした。」(第1コリント9:1-2)と述べているように、「直せ」と命じられた方が、御霊と御力の現われによって直すことができるようにされたということが、彼らの経験だったのだ。

いやしは、平安の子に、説明を超えたリアリティを与えた。
たとえば、食べたことのない料理について、いくら言葉で説明してもらってもわからないが、一度試食するなら、もはやその味について説明してもらう必要はない。
あとは、それを購入するかどうかを決めるだけだ。
イエスは、「わたしは、天から下って来た生けるパンです。だれでもこのパンを食べるなら、永遠に生きます。」(ヨハネ6:51)とおっしゃった。
イエスが「私を理解しなさい」とおっしゃらずに、「私を食べなさい」とおっしゃったのは、彼の働きが、説明よりも実証に力点があったことを意味する。

それで、イエスは多くの力あるわざをなさった。
「わたしが父におり、父がわたしにおられるとわたしが言うのを信じなさい。さもなければ、わざによって信じなさい。」(ヨハネ14:11)とおっしゃったのは、そのためだ。
漁師だったヨハネは、イエスのことを、「私たちが聞いたもの、目で見たもの、じっと見、また手でさわったもの」(第1ヨハネ1:1)と表現したが、そこには説明を越えたリアリティがあった。
まるで、まず試食してみなさい、それからお金を出して買うかを決めなさい、と言われているようだ。
弟子たちを通してなされたいやしの働きは、神の国の本格的な到来の前味だったのだ。

 

5)「神の国が、あなたがたに近づいた」と言いなさい

弟子派遣の目的は、神の国の接近を知らしめることだった。
弟子たちが派遣されて町を訪問し、平安を祈り、食事を共にし、病人をいやしたのは、「神の国が近づいた」(ルカ10:10)、という宣言を、その町が受け止めるようになるためだった。
宣言の直前になされた悪霊からの解放や病気のいやしは、人々に対する神のあわれみの表現なのだが、それ自体が神の国のしるしでもあった。
それは、悪霊が不法占拠していた領域に、神の国(支配)が確立されつつあることを立証し、「公平とあわれみと誠実」(マタイ23:23参照)という規範に基づいて全被造物が裁かれる日、つまり神の国の究極的な出現の日が近づいていることを警告するためのしるしだった。(エペソ1:11参照)。

元を正せば、悪霊の不法占拠は、神の委任を受けて世界を支配するようにと命じられた人間の反抗から始まった。
福音を聞いた人が、まず悔い改め、罪の赦しを受けて、再び創造時の秩序に服することが、被造物全体が「滅びの束縛から解放され、神の子どもたちの栄光の自由の中に入れられ」(ローマ8:21)るための不可欠のステップである。
弟子たちがその町に派遣されたその日が、それまで見過ごされていた無知の時代が終わり(使徒17:30参照)、「罪をぬぐい去っていただくために、悔い改めて、神に立ち返」(使徒3:19)るときだったのだ。

悔い改めて神に立ち返るという意味は、神の国の王であられるイエスに従って生きるライフスタイルを受け入れることだ。
自分の言い分や計画や望みを優先しようとしないで、日々語られる王の言葉を守ることだ。
心優しくへりくだっておられるイエスのくびきを負って、イエスから学びながら生活することだ(マタイ11:29)。
聞き従うなら、「生めよ。ふえよ。地を満たせ。地を従えよ。海の魚、空の鳥、地をはうすべての生き物を支配せよ。」(創世記1:28)という最初の命令を遂行することができる。
そのような本来の生き方に戻っていくときに、「義と平和と聖霊による喜び」(ローマ14:17)を経験することができる。
そして、神の国のライフスタイルを受け入れる人が増え広がり、「百倍の実を結」(ルカ8:8)ぶようになる。

しかし、神の国を受け入れて、それを味わうようになるためには、「応募期間」が終わるまでの間に申請する必要がある。
締め切り日は、イエスの再臨の時だ。
そのときには、神の国が力を持って到来し、あらゆる被造物が裁かれ、王が完全な支配を表わされる。
だから、「神の国が近づいた」ということには、二重の意味がある。
すでに神の国は、王の命令に従う弟子たちや平安の子のただ中にある(ルカ17:21参照)し、イエスが神の指によって悪霊を追い出している以上、神の国は地上に来ているのだ(ルカ11:20参照)。
しかし、「その日」(ルカ10:12)は、いまだ来ていない。
それはやがて来る。
そのときには、町が裁かれ、罰がくだされる。
そして、その罰はソドムよりも重くなるのだ。

弟子たち、ひいては、弟子たちを派遣されたイエスを受け入れない町に対しては、大通りに出て行って、次のように宣言するようにと指示されている。
「私たちは足についたこの町のちりも、あなたがたにぬぐい捨てて行きます。しかし、神の国が近づいたことは承知していなさい。」(ルカ10:11)
足についたちりまでぬぐい捨てるというのは、その町の将来がどうなっても自分たちとはまったく関係がないということを公言するという意味だ。
イエスを受け入れる者と受け入れない者との間には、天と地ほどの差異がある。
行き先の違うバスに乗ったようなものだ。
このようなきっぱりとした宣言が人々の心に留まり、後になって反省するようになるかもしれない。
もちろん、必ず反省するという保証はないが、すぐに、その町に火山灰が降ってくるわけではないのだから、まだ裁きは猶予されているのである。

あまり渇いていない者や、聞く耳のない者に、いつまでも説明したり議論をしたりすることで、福音が足で踏みにじられたり、無意味な反抗にあったりする場合がある。
イエスは、「聖なるものを犬に与えてはいけません。また豚の前に、真珠を投げてはなりません。」(マタイ7:6)と警告された。
それらの人々にかかわることで、今渇いている人たちや聞く耳のある人たちが待たされてしまう。
求めが弱いことがわかった時点で、宣言して去るなら、後で渇いたり、聞く耳を持ったりするかもしれない。
一回の派遣事業の可否は、平安の子に出会った直後に、弟子たちが祈った平安が、家長の上にとどまったかを見分けて行動することができるかどうかにかかっている。

弟子たちが宣言したとき、その内容だけでなく、宣言者の内なる確信が、人々にインパクトを与えた。
神から教えられないでは、誰が将来起こることを確信に満ちて告げることができるだろう。
この点が、律法学者の教えとイエスの教えとの違いだった。
聞いた人々は、内容は理解できなかったこともあっただろうが、イエスが「権威ある者のように教えられた」(マタイ7:29)ことはわかった。
無学な普通の人と見られたペテロとヨハネの「話した内容」ではなく、彼らの「大胆さ」(使徒4:13)を見て、裁判所に集まった人たちは驚いたのだ。
パウロは、ユダヤ人がつまずいても、ギリシャ人が愚弄しても、「十字架につけられたキリストを宣べ伝える」(第1コリント1:23)と言った。
配慮しすぎて遠回しに説明するよりも、シンプルでも大胆な宣言をすることの方が求められる場面もあるのだ。

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『福音主義神学』(第43号)より転載