■キリストの共同体の宝である独身姉妹たち

I. 意外と多い無神経なコメント

1.「え、まだ結婚を祈っていらっしゃるんですか。」

クリスチャンの独身女性で、結婚を祈っていない人はまずいないでしょう。誰だって、神様に備えられた人と出会い、家族を持ちたいと思っています。もちろん、例外はあります。けれども結婚を祈っていない人の方がごく少数なのです。

「独身の賜物」という言葉がありますが、自分はちゃっかり結婚しているのに、他人に気軽に適用する人は意外と多いものです。

まじめなクリスチャン女性は、自分がなかなか結婚に導かれないと、神様は自分に独身の賜物を与えているのではないか、それなのに自分は弱さのためにそれを受け入れることができないでいるのではないかと悩みます。そして、ひたすらゲッセマネの祈りのように、「できることならばこの杯を私から取り去ってください」と涙ながらに祈るのです。私自身もほんの数年前に結婚に導かれるまで、何度もその祈りを繰り返しました。

ある時、一人の姉妹から電話がありました。私と同じフルタイムの献身者で、私より10歳以上先輩の方でしたが、末期のがんで、もう余命いくばくもないという時にふと電話をしてきてくれたのです。彼女がおもむろに私に言いました。「Hirokoさん、あなたは結婚を祈ってるの?」

いきなりの質問に私は驚きましたが、こう答えました。「祈っているんですが、なかなか導かれないので葛藤しているんです。神様は私に独身の賜物を与えているのに私が受け入れられないでいるのではないかと思って…。」

すると彼女はケラケラと笑って、「結婚したいという思いがあるんだったら、独身の賜物はないわよ。神様はそんなに残酷な方じゃないわよ」と言うのです。どうしてそう言い切れるのか聞くと、彼女はこう答えました。「私はね、結婚したいと思ったことがないのよ。本当に。だから、こういうのを独身の賜物っていうと思うのよ」私にとって解放の瞬間でした。