■試練の中で思ったこと
私は今試練の中にいます。数年前から肺炎を繰り返している息子がまた肺炎で入院し、やっと退院したと思ったらまた体調が悪化し、別の検査をすることになりました。
息子には重度の知的障がいがあります。お腹が痛いとか吐き気がするとかいう症状を自分で言うことができないため、医師も診断に苦労します。本人も何らかのかたちで意思表示をしているはずなのですが、何を言おうとしているのかなかなかわからないため、しばらくすると、周りの人たちは知ろうとすることをやめてしまいます。
時々本人がお腹が痛いと言っても、本気にする人がいなくなってしまうのです。医師も、さじを投げてしまって、取りあえずすべてを障がいのせいにしてしまうこともよくあります。
全能の神様を知っていながら、わからないことがあまりにも多く、私はいらだちを感じます。「神様、私はあなたが不可能を可能にすることを知っています。だから、息子に関して不可能が不可能のままであることに納得がいきません。あなたにしかできないことをして、周りの人たちにあなたがどんなに素晴らしい方なのか知らせてください」と祈りながら息子の病院に向かいますが、毎回疑問を抱えて帰ってきます。
その矢先、主人が階段から落ちて骨盤を骨折し、入院してしまい、全く動けない状態です。息子の病院は車で2時間ほど離れたところ、主人の病院は車で1時間ほど離れたところにあります。自分の仕事を続けながら主人の仕事もカバーし、病人の介護もしなければなりません。一体これを一人でどうやってこなすんだろうと考えたら、圧倒されて涙が出てきました。