■宣教師への教訓(2) – ボルシチが意味したこと

「ねえ、メニューはわかっているでしょ。ボルシチと黒パンと、サーラ(注1)。ガルチッツァ(注2)も忘れないでね。あと、ボルシチにはいつものように、ネギをたっぷりね。」

注1) ウクライナ名物で、豚の脂身を塩漬けにしたもの。ベーコンの赤いところを取り除いて、もっと塩気を強くしたもの。一口食べるだけで血管が詰まる様な気がする。

注2) 辛子のこと。粉状のものをスプライトで練ると、非常に強烈な辛子ができる。

現地の友人とのそんな会話を横で聞いていたアメリカ人宣教師の友人があんぐりと口を開けています。

「あなた、そんなことできるの?」
「そんなことって?」
「現地の人の家に行ってごちそうになるだけじゃなく、何を食べたいかまで注文するってこと。」
「うん。この人たちの家に行く時はいつもそうだよ。」

その宣教師はさらに唖然とします。外国人と現地の人たちとは、経済状態が明らかにはるかに違うため、外国人は、できるだけ彼らに負担をかけないように気を遣うのです。

だから私のように、自分から何を食べたいか注文するのは考えられないことなのです。私を見て、宣教師のくせになんと図々しいんだろうと思った外国人は少なからずいたに違いありません。でも何を隠そう、私にはそうやって自分が何を食べたいかはっきりと言える現地の友だちが何人かいました。

それでもふと、そんなことをしてもいいと思い込んでいるのは自分だけかもしれないと思い、実際に確認してみることにしました。