■負の遺産となった「賛美」

フェルガナ盆地という、とても保守的なイスラム教徒が多い地域に住んでいた時、国境の向こう側の町で牧師をしている友人(現地出身)Aから、ある相談を受けた。

A:「ミュージシャンがいなくて困っているんです。」
彼が何の話をしているのかすぐに分かったが、ちょっと意地悪をした。
私:「え? 何のことですか?」
A:「礼拝の賛美ですよ。」
私:「なぜミュージシャンがいないと困るんですか?」
A:「賛美をリードしてくれる人がいないんです。」

他の教会でも同じような悩みがあったが、欧米からの宣教師たちが楽器をプレゼントしてくれたり、音楽の賜物がある人を遣わしてくれたり、また、賛美の学びができるところで勉強できるようにお金を出してくれたりしたのを彼は見てきたのである。けれども私のような意地悪な質問をする人は見たことがなかったようである。

A兄弟は、40歳代半ばになってイエス様に出会い、比較的オープンな近隣の国K国で、欧米の宣教団体がやっている「教会開拓セミナー」に参加していた。もちろん、彼がこの保守的な町で牧師としての働きを続けることができるように、欧米の教会からは献金が送られていた。

そのK国に行ってA兄弟は初めてクリスチャンの集会や教会というものを見た。1990年代には、自分たちの会堂を持っている教会はまだなかったため、大体の教会が、どこかのホールを借りていた。宗教的な集会をするのが違法である国のA兄弟にとっては、夢のような話であった。

ギターを持った賛美リーダーがいて、当時はOHPでスクリーンに賛美の歌を映し出して、皆が生き生きと賛美する。A兄弟はその賛美の中で聖霊に触れられた。そしてその賛美の後は、牧師が出てきて、かっこよく聖書の話をする。Aさんは、いつか自分も同じようにすることを想像した。