■家族としての教会

紹介文
聖書の中で教会を表わすのに最もよく使われている言葉は、「神の家」又は「神の家族」です。しかし、互いに家族のような関係を実際に持っている教会はどれぐらいあるでしょうか? 家族は一緒に住んで一緒に生活している仲間です。そのような近しい関係は週1回の2時間ほどで作れるものではありません。

では教会の中で私たちはどうしたら、家族のような、もう少し深い人間関係を作ることができるでしょうか? まずは、本音を言っても裁かれる心配のない空間を作ることから始めましょう。でも、教会内の誰とでも同じ深さの親しい関係を築くのは困難です。イエスさまが十二弟子を選ばれたように、12人の特に親しい交わりを持てる人を選び、その中からさらに交わりを深める人を3人選びます。


アメリカの神学者デービッド・フェッデスによると、どこの教会にもそれぞれ何かにたとえられる自画像があります。たとえば、賑やかな賛美が盛んな教会は、「教会はコンサート会場である」と無意識にたとえているかもしれません。椅子が並んでいて、講壇から語られる説教を重要視する教会は「教会は学校である」という自画像を持っています。

しかし、フェッデスが強調する、新約聖書の教会像は「家族」です。パウロは教会を「神の家とは生ける神の教会」(第1テモテ3:15、エペソ2:19、ガラテヤ6:10)と呼びます。イエスさまもご自分のことを「家長」、弟子たちを「家族の者」(マタイ10:25)にたとえられました。

新約聖書における伝道も、家族(ギリシャ語で「オイコス」)が中心でした。「あなたとあなたの家にいるすべての人」が救われるという言葉が何回も聖書に出てきます(使徒11:14、16:15、16:31、18:8)。そのときの「家」とは夫婦と子供だけの核家族ではなく、拡大家族、すなわち奴隷、家業の雇人などを含む「家にいるすべての人」と考えられました。