■「キリストのからだ」再発見

紹介文
「あなたがたはキリストのからだであって、ひとりひとりは各器官なのです」(第1コリント12:27)というパウロの言葉をどう解釈すればよいでしょう? パウロは教会の中の活動を各自がどう役割分担して支えるか、ということについて書いているでしょうか? 教会の中の自分の立ち位置や役割が問われているのでしょうか?

初代教会はそれほど組織的な運動ではありませんでした。また、「一つのからだ」というだけでなく、「キリストのからだ」とも聖書には記されています。これは、イエスさまの手足として生きるように命じられたという意味です。現代に生きる私たちも、イエスさまの手足として生きるとき、教会は外部の世界にますます影響を与えることができるようになります。


「キリストのからだ」とはどういう意味でしょうか? 単に「教会」を指す象徴でしょうか? パウロが書いた言葉を改めて読むと、より広くて素晴らしい意味が含まれていることがわかります。

コリント人への第一の手紙で、パウロが教会の一体感と各自の役割について説明しています。複数の器官があるという説明(第1コリント12:12-26)と、それらの器官が担う様々な役割の説明(12:28-30)の間、つまり27節に、驚くべき一節が記されています。それは、「あなたがたはキリストのからだ」だという宣言です。この言葉を初めて聞いたコリントの人たちは、神の御名を冒涜する言葉と思ったことでしょう。