■「歴史」を通して神さまと交わる
紹介文
最近、私が神さまから語られていることのひとつに、「歴史」というテーマがある。
私たちの周囲で起こることはすべて「歴史」の中で起こることであり、これまでの「歴史」と切り離せないものである。
歴史の中で起こったこととその結果を見据え、変化をもたらすか、続けていくかという決断を意識的にすることが私たちには重要ではないだろうか。
今号では、戦争のうわさ、災害、スキャンダルなど最近身の回りで起こっていることや、耳にすることを通して、「歴史」というテーマで神さまと交わることについて分かちあう。
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神さまはあらゆる形で私たちに語られるが、私の場合、「テーマ」が与えられることがよくある。頭の中でまずそのテーマとなる言葉が浮かぶが、最初は神さまに語られている言葉だとはまったく意識していない。しかしそれから様々な出来事が起こるたびにそのテーマを思い出し、それを何度か繰り返していくうちに、神さまから何かを語られているかもしれないとふと思うときがくる。しかし愚かなもので、それでも忘れてしまうのだけれど、その後も様々な出来事の中で同じテーマが浮上して、ようやく私は祈り始める。「神さま、これはあなたからのものですか。あなたはこれを通して何を私に教えようとしていますか?」と。
祈り始めてからしばらくして、そのテーマについて仲間と話しあうことも多い。不思議なことに、大体仲間たちも同じようなことを考えている。すると、今度は一人ではなくグループで、神さまから語られていることを捉えようとするプロセスが始まる。これを通して、また私と神さまとの対話に刺激が加わることになる。
読者の皆さんもそういう経験があるだろうか? 私はこのようなプロセスから、意外でバカみたいに思えるテーマでも、何度も浮上してくるものは、とにかく神さまに聞いてみること、そしてそれを仲間と分かちあう事が大切だと知った。アホじゃないかと思われたらどうしようとか、真剣に受けとってくれなかったらどうしようという不安に必ず襲われる。でもその不安を克服してとにかく分かち合うことである。