■Bとの旅路-知的障がいがある息子を通して学んでいること (1)コミュニケーション
紹介文
私の息子Bは34歳。重度の知的障害がある。厳密に言えば、夫の息子であり、40代後半に結婚した私は、知的障害がある人たちの生活を全く知らない中から、Bとの旅路に飛び込んだ。
非常に孤独な旅路である。しかし、Bと歩んで行く中で、Bの母親にならなければ学ぶことができなかった神さまからの尊い教えがあるということがわかると、この旅路の中で体験する試練はその重さが変わり、負いやすいものになっている。
Bとの関わりの中で、特に大きく分けて4つのことを学んでいる。それは1)コミュニケーションについて、2)神さまの似姿との関連、3)私の礼拝のあり方、そして4)いやしについてである。この4つの点で学んだことは、宣教というコンテキストにも適用できるということもわかった。
今号からシリーズで、それらの4つの点を具体的に分かちあっていく。今号は、第一のコミュニケーションについて。Bと歩む中で、私が思っていたよりもはるかに多くのことをBが理解してること、そして、Bは彼なりの方法でメッセージを発信していることがわかり、さらなる理解への旅路が始まった。
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私の身の回りには、知的障がいのある人があまりおらず、町の中のバスや電車で一緒になる人たちぐらいであった。正直に言うと、私は彼らが怖かった。体をひたすら揺らしていたり、ブツブツとひとりごとを言ったり、時には奇声をあげたりして、何かされたらどうしようと、ビクビクしながら遠巻きに様子を見ていたのであった。
そんな私の人生に思いがけずBがやってきた。Bの父親と出会い、交際中にBに初めて会いに行った。その日のBはぼうっと虚ろな目をしていて、最初は私の横に黙って座っていた。私はどう接したらいいかわからず、とにかく適当に話しかけてみたが、Bがそれを理解しているようには見えなかった。
しばらくしてBが私の腕に優しく触れて、「わたし誰?」と言う。変な質問だなと思いながら、「あなたはB君でしょ」と答えると、彼はまた私の腕にそっと触れ、同じ質問をした。それを数回繰り返した後、もしかすると私の名前を訊いているのではないかと思い、「Hirokoだよ」と言うと、Bの質問は終わった。後でわかったのだが、Bはその1回で私の名前を覚えたのであった。
この時、真っ暗な部屋の中で一つの小さな窓が開いたような気がした。そして、学び1の過程が始まったのである。