■植民地主義的宣教に対する反省(5)- HIROKOの場合 (2)

紹介文
植民地主義的宣教は、日本への宣教にも用いられた。そして私たちも、無意識のうちに、植民地主義的な宣教によってキリスト教を伝えようとしてしまっている。私たちには、自分が教わった方法で、他の人にも伝えようとする傾向があるからだ。

これまでの自分の信仰の歩みを振り返る中で、私自身も植民地主義的宣教に関わってきたことに気付かされる。これまでの歩みを全て否定しようとするわけではなく、神さまとその御国の価値観にそぐわないものは悔い改め、やり直したいと願うのである。

今号では、植民地主義的宣教の価値観に従って、神さまから自分に与えられたリソースをキリスト教会の範囲内にとどめてしまったこと、また、宣教地で出会った人に対しても同じことを強要してしまったことについて分かち合いたい。