■何をイメージして教会を形成するか

再び、宗教改革のお話。
宗教改革のイメージと言えば、ヴィッテンベルグ城の教会の扉に、ルターが免罪符に関する95箇条の提題を書いた張り紙をくぎ付けにしたことを思い浮かべる人が多いだろう。

しかし、歴史家は、むしろ教会の中には、神の恵みによって、絶えず改革の動きがあり、ルターが抗議した時期にも、その前後にも、カトリック教会を改革しようとする人たちがいた、と論じる。

しかし、おおまかに言うと、それぞれの陣営で、「改革してどうなりたいのか」というイメージが違っていたと考えられる。

カトリックの場合は、中世の理想である「統合」が形となっていた、12-3世紀の最盛期に戻ろうとしていた。教皇権が確立し、スコラ神学が花盛り、倫理的実践についても頑張っている人たちがいた時代だ。

プロテスタントの刺激を受けて起こったイエズス会のムーブメントも、禁欲主義が徹底していた時代に戻ろうという意識が強かったと思われる。

このように、カトリックは中世回帰志向だったが、プロテスタントの場合は、中世を飛び越えて遡り、使徒時代に戻ろうとした。

ところが、改革が進んでいくにつれて、プロテスタントの陣営でも、2つの違ったイメージがあることが明らかになっていった。

第一世代の人たちは、「キリスト教世界」が確立したコンスタンティヌスの時代を意識していた。プロテスタントの理念自体は、もちろん聖書回帰だったが、その運動を支持した人たちが、ある政治体制と結びついていたことから、国家と教会が結びついた時代を理想とすることは自然な成り行きだった。

プロテスタントから派生した「急進派」と言われる諸グループは、コンスタンティヌスの「キリスト教世界」は、中世の退廃の起点であると考え、さらに遡り、理念だけではなく、生活の原則そのものを、新約聖書の時代に戻すべきだと考えた。

それぞれの動きは、歴史の流れの中で、それぞれの背景を背負って起こってきた。だから、それを私たちが単純に平面に並べて善し悪しを言うことは公平ではない。

しかし、それぞれのグループが、何を原型として教会を形成をしようとして、どのような理想を目指して戦ったか、という原点のイメージを知ることは、理解の助けになる。

そして、個人的には、急進派と呼ばれた人たちが、ある局面では生命の危険にさらされながら求め続けた「イエスの共同体のイメージ」に、深く共感するのである。

ハウスチャーチを目指す人は、何をイメージして教会形成をしているだろうか。ルカ10章か、マタイ16章か、それとも、使徒の働きの2章・4章だろうか。

ハウスチャーチを始めたいという人と話すときに、この人の教会のイメージは、出身教会の改訂版だな、とか、カリフォルニアのメガチャーチに小グループがくっついた亜流かな、とか思うことがある。

たとえ、理念や価値観が、ハウスチャーチっぽくっても、イメージが伝統的だと、小さな伝統的教会が形成されていく。見ているイメージの通りになっていくのである。

第2コリント3章18節
私たちはみな、顔のおおいを取りのけられて、鏡のように主の栄光を反映させながら、栄光から栄光へと、主と同じかたちに姿を変えられて行きます。これはまさに、御霊なる主の働きによるのです。