■アブシャロムの乱(その2) すべての道で主を認める

 
ダビデがアブシャロムから逃げるとき、1人の男がダビデを呪った。かつてダビデと敵対関係にあったサウル一族の者で、シムイという男だ。彼はダビデとダビデ王のすべての家来たちに向かって石を投げつけ、ここぞとばかり盛んに王を呪った。
「出て行け、出て行け。血まみれの男、よこしまな者。主がサウルの家のすべての血をおまえに報いたのだ。サウルに代わって王となったおまえに。主はおまえの息子アブシャロムの手に王位を渡した。今、おまえはわざわいに会うのだ。おまえは血まみれの男だから。」(第2サムエル16章6節)
ダビデは反論することもできたし、彼の口をすぐに封じることもできた。だが、彼は出来事の背後に、賢く正しくあわれみ深い神がおられることを認めていた。すべてが益となることを知っていた。シムイを殺そうとした将軍たちにダビデは言った。

「ツェルヤの子らよ。これは私のことで、あなたがたには、かかわりのないことだ。彼がのろうのは、主が彼に、『ダビデをのろえ。』と言われたからだ。だれが彼に、『おまえはどうしてこういうことをするのだ。』と言えようか。」(10節)
これが信仰だ。降りかかってくる様々な事件や言葉に、いちいち反応して攻撃したり、ふてくされたり、落ち込んだりせずに、「見えないものにこそ目を留め」(第2コリント4章11節)る。「地の高い所を踏み行」(イザヤ58章14節)く歩みだ。
神に信頼して、何事も不平や理屈を言わずに行うなら、「邪悪な世代の中にあって傷のない神の子どもとなり、非難されるところのない純真な者となり、また、曲がった邪悪な世代の中にあって傷のない神の子どもとなり、いのちのことばをしっかり握って、彼らの間で世の光として輝く」(ガラテヤ2章15節)ことができる。

 

箴言3章5、6節
心を尽くして主に拠り頼め。自分の悟りにたよるな。あなたの行く所どこにおいても、主を認めよ。そうすれば、主はあなたの道をまっすぐにされる。