■アブシャロムの乱(その1) いのちの道

 

ダビデの波乱万丈の人生の中でも、もっともダメージが大きかったのは、晩年に起きたアブシャロムの乱だったと思われる。実の息子に反逆され、生命を狙われた。ダビデは謀反を知ると直ちに都を後にした。その描写が事柄の深刻さを伝えている。

「ダビデはオリーブ山の坂を登った。彼は泣きながら登り、その頭をおおい、はだしで登った。彼といっしょにいた民もみな、頭をおおい、泣きながら登った。」(第2サムエル15章30節)とある。多くの人々の激しい泣き声が王の都に響き渡った。

謀略に天才アヒトフェルが加担していることを知ったとき、ダビデは、「主よ。どうかアヒトフェルの助言を愚かなものにしてください。」(31節)と祈った。このような危機に際しても、ダビデは「人のせい」にしたり、自分を責めたりはしなかった。

どんな場面に遭遇しても、ただまっすぐに神に祈る。これはシンプルなことだが、いざとなると簡単ではない。日頃から神に語りかけ、神に聞くという習慣が生活に根付いていて、それを楽しみ、それを通して信頼が築かれていることが鍵となる。

「あなたは私に、いのちの道を知らせてくださいます。あなたの御前には喜びが満ち、あなたの右には、楽しみがとこしえにあります。」(詩篇16篇11節)ダビデはこの「いのちの道」を知っていたので、荒野を通るときにも満足することができた。

 

詩篇63篇3-5節
私のたましいが脂肪と髄に満ち足りるかのように、私のくちびるは喜びにあふれて賛美します。それゆえ私は生きているかぎり、あなたをほめたたえ、あなたの御名により、両手を上げて祈ります。私のたましいが脂肪と髄に満ち足りるかのように、私のくちびるは喜びにあふれて賛美します。