■それ以上ない愛

 

Mさんは戦時中、徳島の航空機製造会社に務めていた。ある日、上司のかばん持ちで、倉敷にある紡績会社を訪れた。その頃は、たいてい、夜は軍需工場を標的とした空襲があったので、朝のうちに用事を済ませ、昼食後すぐに引き返す予定だった。

ところが、その日に限って、昼間に空襲があった。二十歳前後だったMさんは、初めて訪れた土地で右往左往していた。「B-29」が近くに迫ってくるのを、茫然自失で眺めていた。そのとき、体格のりっぱな50歳ぐらいの女性が声をかけてくれた。

「眺めていないで、防空壕に入りなさい。」彼女に手を引かれて壕に入ったときには、すでに数十人の女工が身を寄せ合っていた。ヒュー、ドーン、ヒュー、ドーンと凄まじい音を立てて爆弾が落ちてきた。狭い壕の中で、Mさんはもう駄目かと思った。

恐怖のあまり身体が固まった。そのとき、あの大柄の女性がMさんの耳元で、やさしく語りかけた。「あなたを死なせるわけにはいきません。徳島のご両親が心配しておられるでしょう。必ず生きて帰します。」彼女は工場付属の女子寮の寮母だった。

彼女はMさんの身体の上に自分の身体をかぶせた。たとえ自分は死んでもMさんを守るぞという気迫が伝わってきた。一通り爆撃が終わったとき、彼女はMさんに言った。「今のうちに急いで徳島に帰りなさい。夕方にまた爆撃機が戻ってきます。」

Mさんは戦中戦後を生き抜き、結婚して子どもや孫にも恵まれた。今は八十路を越え、聖書から神の愛を学ぶことを日課としている。先日、六十年以上前に倉敷で経験した出来事を思い出した。寮母が示してくれた親切に感謝の気持ちが湧いてきた。

自分を覆ってくれた寮母の大きな身体と、イエス様の十字架のイメージが重なった。イエス様は、ご自分を犠牲にして、彼女が生きるようにしてくださった。イエス様の愛を伝えていきたい。こんなに素晴らしいことは、世の中にないのだから…。

 

ヨハネの福音書15章13節
人がその友のためにいのちを捨てるという、これよりも大きな愛はだれも持っていません。