■「紀元一世紀の教会出席」を通して紀元二十一世紀の教会を考える(6)

紹介文
現在ほど変化の速い時代はない、と言われています。そのスピードは、減速するどころか、様々な技術の進歩によって刻々と加速しています。それらの変化に対する善し悪しの判断や、変化への対応の仕方に違いこそあれ、私たちはみな変化に対応せざるをえません。

私たち日本人にとって2019年は、元号が変わるという変化にも対応する年です。「平成」という時代に色々な意味で区切りをつけ、新しい「令和」という時代に入りました。これらの様々な変化は、私たちキリスト者の生活にも否応なく訪れています。加速度的変化の中でどのように、永遠に変わることのない神さまを愛し、私たちと同じように変化のただ中にある隣人を愛するように、私たちは召されているのでしょうか。

変化への対応は、本質的な事柄を考える機会でもあると言えます。何を、なぜ、どのように、変えるのか、そして変えないのか、それらを考えることが、私たちの思いを本質的な事柄に向かわせます。そのような意味において、今ほど信仰の本質を考える絶好の機会はないでしょう。

このシリーズでは、約2000年前の教会出席を描いた小冊子「紀元一世紀の教会出席」(RACネットワークサイトにて無料公開中http://rac-network.net/05art/05kig01.html)から、教会の本質を再考し、現在の日本の教会に対する示唆を得たいと思います。


第6回になる本稿で、このシリーズは終了となります。初回では、なぜ「紀元一世紀の教会出席」という小冊子を用いて、「教会」について考えるのか説明しました。第2回では、舞台となっているアクラとプリスキラの家での夕食会が、「教会」と認識されていることについて考察し、第3回では、「食」という面から「教会」を考えました。第4回では、集まりの性格として「共同体」を取り扱い、前回の第5回では、「礼拝式」について考えました。このシリーズでは、これまで体系的に「教会」の本質を論考したり、「教会」の神学的定義づけを試みたりはしませんでした。

RAC通信がそのような主旨のメールマガジンではないこともありますが、「教会」の現場に立つ読者のみなさんにとって、そのような記事が興味深くもなければ、役にも立たないように思うからです。時間と空間を超える普遍的な「教会」は、概念や理論の中に存在するのではなく、ある一定の時間と空間の中に、ローカルな「教会」として存在しています。ローカルな「教会」は、イエスさまが「受肉」して特定の時代と地域、すなわち紀元一世紀のパレスチナ地方にユダヤ人男性として出現されたのと同じように、その時代と地域の中に「キリストのからだ」(エペソ5:30)として存在するのです。

「わたしはこの岩の上にわたしの教会を建てます」(マタイ16:18)とイエスさまが話された「教会」は、その本質においては同じであっても、その現れにおいては個々の時代と地域によって異なります。二十一世紀に入ってから、二十年弱の月日が既に過ぎ去りました。あらゆる面において加速度的に変化が起こっている、そのような世界に私たちは生きていると言えます。

ですから、前世紀における「教会」の現れが、何の変化もなく今日の社会にそのまま存続することはありません。イエズス会の宣教から400年以上、プロテスタント宣教だけ見ても150年以上が経過しているにも拘らず、「キリスト教は、西洋の宗教」というレッテルを貼られ続けているのはそのためだと思います。

私たちの多くが体験し、また学んで来た「教会」は、西洋の歴史的変遷の中で形成されてきた現れの一つであって、今日の日本の文脈には適合しない「教会」の現れではないでしょうか。時代や地域に適合しているから、正しいのだと言うつもりは毛頭ありません。既にこのシリーズを通して見てきたように、「紀元一世紀の教会出席」の舞台となっているローマに出現したアクラとプリスキラの家の「教会」は、紀元一世紀のローマにおける社会に適合するものだったと言えるでしょう。

イエスさまの「受肉」の模範を見ても、パウロの「律法の下にある人々には、私自身は律法の下にはいませんが、律法の下にある者のようになりました」(第1コリント9:20)という宣教の姿勢を見ても、愛の業は受け手の社会や文化に合わせて行なわれるものであると理解できます。ある時代と地域における「教会」の現れも同様に考えることができます。

また、毎年イエスさまを信じて洗礼を受ける人が八千人程度いるにも拘らず、キリスト教会内の調査による統計上のクリスチャン人口が一向に増加しないのは、信者が毎年連続して八千人もの人が召天しているためではないでしょう。受洗しても教会の交わりにとどまり続けない人たちが多数いるためだと考えられます。ある調査によれば、入信してから教会の交わりにとどまる平均年数は約三年だそうです。キリスト教会外の世論調査などでは、クリスチャン人口が2~5%という数値が出ていますから、その人たちは信仰を捨ててしまったのではなく、教会の集会などに定期的に出席するのをやめてしまったと類推されます。教会に属さないキリスト者が少なからず存在するのは、日本に現在存在するローカルな「教会」が、時代も文化も異なる「教会」を無理矢理当てはめようとしているためではないか、と思えるのです。

世界に類を見ない「超高齢化社会」、人口の都市集中、グローバル化など大きな社会の変化の中で、「教会」の現れを「一教会一牧師」や「教会堂の所有」などに固定して考え、それを日本の救いのために推進することを、神さまが日本にいる全てのキリスト者に命じておられるとは言えないでしょうし、聖書の中に直接的にも、間接的にもそのような命令を見出すことはできません。

それでは、普遍的な「教会」はどのようにして、一定の時代と場所に「受肉」するように出現しうるのでしょうか。「紀元一世紀の教会出席」をもとに「いのち」をキーワードにして考えたいと思います。

「紀元一世紀の教会出席」の舞台となっているアクラとプリスキラの家で行なわれていた定例の夕食会は、シリーズ第4回で見たように「共同体」としての特徴を持ったものでした。この「共同体」は、受け入れ合い、支え合う人々の愛の関係によって成り立っていました。そして、キリスト信者ではない主人公のプブリウスにも再びこの夕食会に参加したいと思わせる、魅力的なものとして受け止められたことが描写されています。そこには、「生き生き」とした「共同体」が存在していたと言って良いでしょう。

「生き生き」は、読んで字のごとく「新鮮で生気にあふれているさま」、「元気で活気にあふれているさま」を表現することばです。そこには、「いのち」があることを間接的に表わしていると言えます。パウロも「神の家とは、真理の柱と土台である、生ける神の教会のこと」(第1テモテ3:15)と、「神の教会」には「いのち」があると説明しています。

何かに「いのち」があるのか、それとも「いのち」がないのか、すなわち生きているのか、いないのかということは、小学一年生でも判断することができるでしょう。しかし、「いのち」とは何かを定義しようとすれば、大学生でも頭を抱えてしまいます。このことは、「いのち」が存在するかどうかを私たち人間は、感覚的に知りうることを意味します。「教会」の「いのち」は、信者だけが感覚的に知りうるものではありませんでした。

医者ルカは、エルサレム教会の様子をこのように描写しています。「信者となった者たちはみないっしょにいて、いっさいの物を共有にしていた。そして、資産や持ち物を売っては、それぞれの必要に応じて、みなに分配していた。そして毎日、心を一つにして宮に集まり、家でパンを裂き、喜びと真心をもって食事をともにし、神を賛美し、全ての民に好意を持たれた。主も毎日救われる人々を仲間に加えて下さった。」(使徒2:44-47)

信者でない人も含めて「全ての民に好意を持たれ」るようなエルサレム教会の集まりに、「いのち」を見出さない人はいないのではないかと思うのです。アクラとプリスキラの家の集まりでも、エルサレム教会と同じように主の聖餐が行なわれ、「喜びと真心をもって食事をともにし、神を賛美し」(使徒2:46,47)ていたことが、「紀元一世紀の教会出席」に記されています。

パウロも「教会」に「いのち」を見出していたようです。「教会はキリストのからだであり、いっさいのものをいっさいのものによって満たす方の満ちておられるところ」(エペソ1:23)であると説明しています。また、「御子はそのからだである教会のかしら」(コロサイ1:18)とも記しています。

「教会」は、「わたしが道であり、真理であり、いのちなのです」(ヨハネ14:6)と宣言なさった「キリストのからだ」であり、イエスさまの「満ちておられるところ」だと言うのですから、「教会」は「いのち」の満ちているところであると理解できます。そして「キリストのからだ」は、死んだ「からだ」ではなく、「生ける神の教会」(第1テモテ3:15)ですから、「いのち」のある、まさに「生き生きとした」ものだと言えるでしょう。

パウロは、普遍的な「教会」、家の「教会」、そしてある町や都市の家々の集まりの総体としての「教会」を表現する際に同じ「エクレシア」という言葉を用いていますから、ある時代と地域を超えた「教会」に「いのち」を見出していたと考えられます。

この「いのち」について興味深い説明を生物学者である福岡伸一は「生物と無生物のあいだ」(2007年:講談社現代新書)の中で展開しています。福岡伸一によれば「いのち」とは、「自己複製を行うシステム」です。システムといっても、これはDNAの情報によって各パーツが複製され、組み合わされていくような機械的なものではなく、「動的平衡」という概念によって説明されています。

「動的平衡」とは何を意味しているのでしょう。この熟語は一見して矛盾しているように思えます。後半の「平衡」とは、何かが釣り合っていること、バランスがとれていて安定した状態を保っていることを意味しますから、普通「静的」なものをイメージします。ところが、前半の「動的」とは読んで字のごとく、「動きのあるさま」を表わして後半の「平衡」とは逆のイメージを抱かせるのです。文字から理解するならば、「動的平衡」とは、ダイナミックに何かが動きながら、バランスが取れていて安定していることを意味していることになります。

「動的平衡」という生物学の概念では、「いのち」そのものが、生き生きとダイナミックな動きをしながら、自己複製を続けて「いのち」を安定した状態で保っていると言うのです。福岡伸一は、分子レベルでこれを説明しますが、「動的平衡」というタイトルのついたシリーズを3冊も出版しているくらいですから、ここでは詳細にわたって説明はしません。

もう少し理解しやすい細胞レベルで考えてみましょう。私たちの身体は、数多くの細胞によって成り立っています。その数は37兆個あると言われています。身体のどの部分の細胞かにもよるのですが、細胞には寿命があります。胃腸の内膜の細胞であれば一日、皮膚の細胞なら数週間、心筋の細胞などは生まれてからずっと同じ細胞が働き続けているといったように寿命があるのです。

目に見える皮膚を考えてみましょう。外部から体の内部を守る壁になって働いていますが、数週間で皮膚の細胞は死んでしまいます。しかし、皮膚の細胞が死んでしまったから、皮膚が薄くなってしまったり、はたまた皮膚がなくなってしまったりするのではありません。絶えず新しい細胞を生み出しているので、皮膚が細胞レベルで入れ替わっているのです。入れ替わりのバランスが取れているので、皮膚自体は変わらないように見えます。

一見すると変わりのない私たちの体は、細胞レベルで絶えず死と誕生をくり返しながら、その機能を維持しているのです。そして、さらに小さな分子レベルにおいては、より速い速度で古いものと新しいものが入れ替わることで、「いのち」を紡いでいるといえます。また、人類という面から考えると、天地創造から今日に至るまで、個々の人間の「死」が訪れる前に、新しい人間である子を生み出し、人類は「いのち」を保ち続けていると言うのです。

このように「いのち」は、あらゆるレベルで生物学的に言うならば、「動的平衡」によって成り立っているのです。

「御子は万物よりも先に存在し、万物は御子にあって成り立ってい」(コロサイ1:17)るのですから、イエスさまご自身が万物を成り立たせてくださっています。そして、「だれでもキリストのうちにあるなら、その人は新しくつくられた者です。古いものは過ぎ去って、見よ、すべてが新しくな」(第2コリント5:17)るという聖書の真理を生物学的に説明するものが、「動的平衡」であると理解できます。

創世記に記されている天地創造で神さまは、海と空の生命体に「生めよ。ふえよ」(創世記1:22)と祝福され、人にも同じように「生めよ。ふえよ」(創世記1:28)と祝福されました。「動的平衡」による「自己複製」を「再生産」と言いかえるなら、「いのち」は神さまの祝福による「再生産するシステム」であると言えるように思います。

「教会」は、「ハデスの門」(マタイ16:18)さえも打ち破り、その「いのち」を保ち続けています。そして、普遍的な「いのち」であるキリストのからだである「教会」は絶えず、生みだし、ふえ、地を満たすことによって、新しくされて存続していくのです。

私たちキリスト者も同じように、「あらゆる国の人々を弟子とし」(マタイ28:19)ながら、地に満ちるように「共同体」を生み出し、「再生産」することにより、「いのち」を保っていくのです。エルサレム教会に、そしてアクラとプリスキラの家にあった「教会」が、日本においても、「いのち」の再生産により絶えず新しくされて、ふえ拡がることを祈ります。

TAKESHI

RAC通信プラス】 – 2019.11.19号…【有料版】第212号 TAKESHI